「1900年代最後の秋」( 2000.1.1掲載)

いよいよ西暦2000年を迎えました。世間ではコンピューターの誤作動について危機感を抱き、非常に多くの方が年末年始の勤務に就いておられるようです。むかし「モダンタイムス」という映画があり、その中でチャップリン扮する工員が機械にこき使われていた、機械文明における人間の弱さを風刺した状況が印象に残っています。現在の状況はまさにそれの世界的現代版とも言える、またその他の科学技術の発展とあいまって人間性の尊厳を守るために何が必要か、をますます問われる時代になっていくと痛感します。
しかし自然の情景だけは時の移り変わりに影響されず、つねに私たちの眼に映ってほしいものです。2000年の最初のページを飾る葉書絵は1999年の締めくくりとなる秋の景色を中心にまとめてみました。

「桜通り伏見交差点より南方を望む」:(1999.10.2)

プロ野球セ・リーグで中日優勝が決定した直後の土曜日、名古屋市内を徘徊?して描いた絵の1枚です。この桜通りと伏見通りは道幅がかなり広く名古屋市内の幹線道路となっています。前方のビルはここから数キロ離れた金山に本年オープンしたホテルで、この建物の下層部分にはボストン美術館があります。この日の作品は合計10枚で、その中には11月初めに開催した葉書絵展に出品した「有名美容師のヘアメイク教室」(昨年12月1日付ホームページ・イベント欄参照)もあります。
「憩う外人」:(1999.10.7)

昼休みの東京日比谷公園でのスナップです。頭髪が相当薄くなった外国人が熱心に雑誌を読んでいました。10月とは言ってもかなり気温が高く、前方のバラも色鮮やかに咲き競っています。この日比谷公園には中央部に芝生があり以前は立ち入り禁止でしたが、現在は夏から秋にかけて昼の2時間程だけ開放されるようになりました。思い思いの食べ物を持ち込んで昼食をとったり、談笑するグループを見かけましたが中に入っている人はまだ少ないようです。
「深緑の中の華厳寺」:(1999.10.10)


岐阜県の谷汲村にある有名なお寺です。このお寺は一昨年11月にも秋の絵として描き12月のこのページで紹介していますが、荘厳なたたずまいはこの地方では珍しいと思います。まだ紅葉には早いものの、祭日であったためかなり多くの参拝者が訪れていました。この辺りの特産品は私の大好物の富有柿で帰途少しばかり買いました。なお華厳寺の説明は1998年12月15日付のこのページの葉書絵「秋深し・・・」をご覧下さい。
「満願寺のタヌキ」:(1999.10.10)

華厳寺のすぐ上の小さなお寺の近くに有ります。「満願寺」の由来等については調べそこねましたが、この「タヌキ」はそれぞれ耳・口・目を塞いでおり、「見ざる、言わざる、聞かざる」の「タヌキ版」のようです。いずれもおおきな「男性のシンボル?」をおったてて、こちらの方はしっかり何かを待っているのではないか、そんな感じのする滑稽な石彫刻です。
「渋谷区役所前にて」:(1999.10.21)

東京での題材が次第に少なくなりましたが、この辺りはNHK放送センター、代々木国立競技場、渋谷駅周辺など、少し視点を変えると新しい発見が出来そうです。人物はぱっとしませんが、左側に止めてある車や遠くのアパートらしき建物など面白いレイアウトになっているはずです。都心の中秋のんびりした感じの一こまです。
「雑司が谷旧宣教師館」:(1999.10.22)

この建物は明治40年(1907年)にマッケーレブというアメリカ人宣教師が自宅として建てたものだそうで、白い壁にある大きな窓が開かれた瀟洒な建物です。この絵を描いたのはちょうど昼頃でしたが、入館者は見かけず管理人らしき人が庭を掃除していました。雑司が谷は池袋から徒歩40分程度の閑静なところで霊園や鬼子母神などで有名ですが、この旧宣教師館は住宅街の一画にあるので私はここにたどり着くのに大変苦労しました。
「秋晴の下・岩倉変電所」:(1999.10.24)

自宅から車で10分ばかりにあり、あまり大きくはない変電所ですが絵にするには丁度手ごろという感じです。鉄塔と通信塔が秋晴れの深い青色の中に、先鋭的で鮮やかに自分の存在を誇示しているかのようです。電気は私たちの生活に密着したものであるのに、変電所は発電所のような存在感が薄い、そんなことを感じながら描いたものです。
「夜の八重洲ブックセンター」:(1999.10.29)

東京での仕事を終えて新幹線の時刻まで多少時間があったので、東京駅八重洲口近くで目に付いた光景を描いてみました。八重洲ブックセンターは絶えず人だかりがしているその理由は、ここが東京駅に近いだけでなく、作者のサイン会が新刊書の発表などとあわせてやられることが多いから、など勝手な想像を巡らして描いたものです。ただ夜間であるため1、2階だけが目に映り3階以上はブラインドで遮られてこのような建物描写になった次第です。
「樹上の戯れ」:(1999.10.31)

秋も真っ盛りの10月末、私の家の前の遊園地での一こまです。午後もかなり過ぎたとき数人の女の子が交互に木に登って遊んでいました。この木はプラタナスで根元から少し上で直角に曲がり地面にやや水平になっているため登りやすいのでしょうが、女の子ばかりというのが不思議に感じられました。今から20年程前私の息子達も同じように登っていた記憶がありますが、女の子は見かけなかったように思います。今では男の子は屋内でテレビゲームなどに興ずる反面、女の子がこのように屋外でたくましく?遊ぶという、現代の一面を垣間見る思いがします。
「福祉フェスティバルにて」」:(1999.11.6)

恒例の中部電力の詩吟大会の合間をぬって名古屋のセントラルパークに足を運びました。丁度福祉フェスティバルを開催中でこのように露店が並び、その前を大勢の人たちが行き来していました。ただ店頭に並べられている品物などからは「福祉」を象徴するものがはっきりしていない、という印象も受けました。これからは秋も次第に残り少なくなり、セントラルパークの賑わいも家族連れから若いカップルに変わっていくことと思います。
「夜のセントラルパーク」:(1999.11.6)

上と同じ日の夜です。もうすっかり暗くなり、セントラルパークの噴水付近はこのように若いカップルが主役になっています。私は最近このようなモチーフに関心があります。こちらに背を向けて立ち話している男女を前面に描き、前方奥にライトアップされたテレビ塔でアクセントを付けたつもりです。また噴水の適当な明るさもこの二人のシルエットを浮き立たせるのに役立っていると思いませんか。
「塩竃(しおがま)神社の七五三」:(1999.11.14)

東京に住んでいる長男から、嫁さんに赤ちゃんが出来たらしいという連絡を受けたのは先月半ばだったと思います。少し遅れましたが安産を祈念して妻と共に名古屋市内にあるこのお宮さんにお参りしました。ここは安産の神様として有名で、私たちも長男・二男の両方ともここにお参りしたものです。今日は丁度七五三で多くの若い夫婦や祖父母に連れられた子供たちで賑わっていました。私たちも早く孫を連れてお参りできたらと、期待をこめて安産をお祈りしました。
「晩秋の上野公園」:(1999.11.17)

上野公園中央の広場での午前11時45分頃のスナップです。晩秋にさしかかった紅葉の間から東京国立博物館が茶色の屋根を見せています。まだ暖かさが残り非常に沢山の人が繰り出して来ている、何か大きなイベントでもあってそのための人出かと感じたほどです。中央の御婦人はハトに餌をばらまいている様子です。またあちこちで修学旅行のグループが説明を聞いたり、時間待ちのために集まって地面にしゃがみこんだりという光景を目にしました。1900年代の秋の華やかさも間もなく幕を閉じようとしています。
「旧東京音楽学校奏楽室」:(1999.11.17)

ここは上野の東京芸術大学の一画に建てられている由緒ある施設です。この建物内部は見学出来たようで何人かの人たちが入って行くのを見かけましたが、この玄関の落ち着いた雰囲気だけでも十分絵のモチーフになりました。私の隣ではすでに若い女性(芸術大学の学生か)が非常に精緻なタッチの水彩画を描いており、私が描き終わっても未だ制作を続けていました。通りがかりの多くの人たちはみんなその女性の絵を賞賛するも、当然ながら私の絵には目もくれませんでした。
「終電車の女性」:(1999.11.17)
東京からの帰途、名鉄電車の中でのスナップです。もう午前0時に近い時間、全く崩れた様子もなく何か考えこんでいるのか、無表情に正面を見つめる20代半ばの彼女。こちらはただひたすらペンを動かすだけ、ひょっとしたら彼女は私が時々向ける一瞥を意識していたかも。たった15分ばかりで私の降車駅・岩倉に到着しました。なぜか彼女も降りました、私には眼もくれず足速に改札口へ。私は帰宅後たった10数分間の情景を思い出しながらこの絵に着色しました。