「思い出となった冬の風景」( 2000.3.10掲載)

西暦2000年に入って既に2ヶ月以上が経過し、もう啓蟄も過ぎました。今年の冬は1月後半以降全国的に冷え込みがきつく、春の到来が待ち遠しい感じです。2000年の初冬ではありますが自然は例年に比べて特段の変化がありませんでした。私の葉書絵制作ペースも、昨年秋以降の色々な出来事(妻の怪我、二男の結婚、私の仕事上の変化など)のために例年になく低調で、さらに2月にはパソコンのクリーンアップ(ハードディスクの再フォーマット)を行いこれに時間を要したのでこのページの制作もややペースが乱れました。それでも私の仕事に深い関わりがあり、昨年11月末から12月初めにかけて開催された燃料電池のセミナーの会場となった名古屋国際会議場では初めての作品を制作でき、この記念すべきイベント参加に良い思い出を加えるなど例年とは多少異なった思い出を描くことができました。

「名古屋国際会議場」:(1999.12.1)

平成11年11月30日から4日間、私が関わっている燃料電池の「国際燃料電池シンポジウム(略称 IFCC)」が名古屋国際会議場で開催されました。このシンポジウムは今回が第3回目で、名古屋で開催された理由は、私たちが国から委託を受けて三重県川越町で進めている「溶融炭酸塩型燃料電池発電システム」の研究開発状況の視察が組み込まれているためです。このシンポジウムには外国人約50人を含む約580人が参加しました。この建物は10数年前に建てられて名古屋のシンボルの一つになっており、正面には徳川家康の大きな像が置かれています。私はここへは何度か来ていますが、絵にしたのは初めてです。
「初冬の名古屋国際会議場」:(1999.12.1)

12月1日はもう初冬で、周囲に植えられている木々は紅葉から落葉へと変わっています。この日はどんよりと曇って肌寒ささえ感じましたが、その寒さよりこの大きな建築物の威圧というか自分の存在を感じさせない人工的な何かが私の制作意欲を駆り立ててくれた、そんな印象を受けました。
「名古屋白鳥公園にて」:(1999.12.1)

名古屋国際会議場の周囲にはいろいろな施設が整備されています。この「白鳥公園」もその一つで和風庭園になっています。セミナーに参加した何人かの外国人が思い思いに散歩していました。またこの絵の右手の建物ではセミナーのアトラクションとして「野点(のだて)」が行われており、私も賞味させていただきました。名古屋は私の住居からあまり遠くないこともあって普段は新鮮な印象を持ちませんが、このようなイベントや外国人に接する機会に遭遇すると別の地域に居るような錯覚を覚えます。
「皇居前・桔梗濠の眺め」:(1999.12.9)

皇居の東側にある桔梗門と、はるか前方には気象庁の通信塔があります。皇居界隈では過去かなり描いておりますが、冬は初めてで心なしかさみしい感じの絵になりました。手前は桜田二重櫓です。
「初冬の神明太一宮」:(1999.12.13)

大阪に出張するため普段より時間の余裕があったのでここに来て描いたものです。このお宮さんは私が住んでいる市内の最も大きい神社です。境内の木々は気温の低下につれて色褪せて来ましたが、手前の石橋だけが相変わらず堅固な姿を見せ、この神社の風格を保っているかのようです。
「五条川の寒風景」:(1999.12.19)

冬は題材探しに苦労しますが、この絵もあちこち探し回って見つけて描いたものです。筆を動かしている間木枯らしに吹きつけられて早く仕上げようと焦りました。川岸の植物もご覧のように色褪せて、真冬の到来だけを待っているかのようでした。
「冬の墨俣城」:(1999.12.23)

このお城は岐阜県墨俣町にあります。かって豊富秀吉が織田信長に約束して一夜で完成したいわゆる「一夜城」を復元(復元時期については不勉強のため省略)したもので、現在ではこの地方の観光名所の一つになっております。この絵を描いたときはこのように単色(中央右手の紅色は紅葉の名残)で人影も見えませんが、春の桜が満開の時はなかなか風情があり、多くの花見客で賑わいます。
「年の瀬のお千代母稲荷」:(1999.12.29)

お千代母稲荷は岐阜県の南西部にありますが、この地方では名前の通り「油あげ」で有名です。神社の前ではわら縄に通した油あげを無料で配っていますが、もらってもどうすればよいのか迷うのも事実です。この日は新年まで後2日というのに、かなり多くの参拝客で賑わっていました。私のように時間を持て余した(本当は別の理由)人たちが沢山来ており、里芋など農産物が所狭しと並べられた参道付近の店で、思い思いに買い込んで去って行く人たちを見かけました。きっとおせち料理の準備でしょうね。
「岐阜関市・吉田観音」:(2000.1.1)

昨年秋足を怪我した妻の早い回復を願って一緒に初詣に来ました。このお寺は岐阜県関市にあり、貞応元年(1222年)創建された真言宗の古刹です。国の需要文化財である七堂伽藍のほか多くの室町建築の傑作があって「美濃の法隆寺」 とよばれているそうです。
普段はひっそりした境内ですが元日であるため多くの参拝客で賑わい、周辺の道路も車の往来や駐車のために混雑していました。
「正月の矢田川」」:(2000.1.2)

二男が昨年12月に結婚して名古屋市内のアパートに住んでいます。新家庭で迎えた初めての正月であるため様子を伺いに訪問し、ついでにこのアパートのすぐ裏手を流れている矢田川をスケッチしました。この川は隣接する春日井市方面から名古屋市北部・西部を経て他の川と合流し伊勢湾に流れ込んでいるものです。もともと水の少ない川であるうえ今は真冬で殺風景ですが、暖かくなると河川敷がグリーンでおおわれ、休日には犬の散歩をする家族や若いカップルのデートなどで賑わうなど良い憩いの場所です。近い将来二男夫婦の子ども達とここに来ることを楽しみにしています。
「東急渋谷駅」:(2000.1.11)

ここは東急東横線のターミナルです。利用客の多さでは東京都内でトップに近い駅で、朝夕何百万という通勤客が乗降しております。この絵を描いたのは午前10時半頃でしたが新年の挨拶回りと思われるサラリーマンなどで賑わっていました。この絵の正面にある沢山のアーチは駅ホームの東側の壁ですが、普段気にも留めない部分ながらこうして注意してみるとなかなかユニークな形状をしています。
3月8日東京営団地下鉄日比谷線の事故が発生した「中目黒駅」はここから2区目にあり、私も当日この事故の10分ほど前にこの駅を東横線で通過していました。また事故にあった電車も時々利用することがあり、このような事態に遭遇する危険をあらためて痛感しました。犠牲者のご冥福とお怪我の早い回復をお祈りします。
「ハチ公前タバコを吸う女」:(2000.1.11)

渋谷駅前の「ハチ公」の絵は多分3枚目のはずです。「八チ公」はどの方向からみても変わり映えがしないので、周囲の人物の変化を描かせてもらっています。今回はタバコを吸いながら誰かを待つ茶髪の若い女性にスポットを当ててみました。この女性は全部描きあげる前に消えてしまい、彼女が待った人物も分からず終いですが、彼女は私より早くからここに居たように思います。寒い中何を考えながら立っていたのでしょうね。
「農村の冬」:(2000.1.15)

岐阜県の南部、木曽川に面した農村の冬景色です。この辺りはかって河川の氾濫で度重なる水害に見舞われた地域ですが、現在では堤防などが整備されて水害は皆無となり、野菜など食料の生産を中心として活性化された地域となっています。1月のこの時期は農家も春に備えて静かなたたずまいを見せているという感じです。前方の山々は養老山脈ですが、まだ雪をかぶるところまでは行っていないようです。
「寒風に耐える男達」:(2000.1.16)

寒風の吹きすさぶ中、電話線の工事で頑張っている人たちです。この絵を描くために私は近くに車を停めて田んぼに下りましたが、地面の上でも結構風が強く厳しい寒さを実感しました。私たちは日ごろ電力や電話を自由に使っていますが、その陰にはこのように厳しい自然環境の中でのご苦労があるわけですね。
「待ち遠しい春」:(2000.1.29)

小牧市役所近くの遊園地での一こまです。曇り空の下でお父さんが娘さんのブランコを揺すっている、娘さんの喜びに反してお父さんの表情は今一つ冴えない感じでした。「早く暖かくなってくれないかなあ」という声も聞こえそうです。それにしても今年の冬は寒い時期と暖かい時期が交互に訪れていますが、私も早く本格的な春になってくれることが待ち遠しいです。