「99年9月の詩」(1999.11.1掲載)

1900年代最後の9月に描いた作品32枚の中から選んで並べてみました。この1ヶ月は絵のモチーフを自宅から程近い場所から東京までの異なった地域に求めたましたが、、ことしの9月は残暑が厳しかったので秋の風情は全く感じられず、屋外のものはまだまだ深緑を残した絵になっています。今回は地元公民館で開催されて初めて目にしたインド舞踊にもトライしご紹介しました。
なお今月中旬に作品が1000点を超えたのを機会に、葉書絵の刻印を変えました。この印は妻が8月に上海に旅行して土産として買って来てくれた大理石に、初めて我流の「てん刻」をしたものです。

「水郷パークセンターにて1」:(1999.9.4)

ここは木曽三川公園の一部を構成する、岐阜県南部に位置した比較的狭い公園ですが、園内にはこのようにオランダの風物を形取った建造物が配置されています。この風車がオランダからの移設かどうかは見落としましたが、これを見たとき丁度2年前オランダに出張して同じ物を目にしたのを思い出しました。この絵を描いている間は回転を続けていましたが、多分モーターで駆動していたと思います。この位置から見る羽根車は先端がすばやくヒュッヒュッと移動し、このような絵ニ仕上がりました
「水郷パークセンターにて2」:(1999.9.4)

これも同じ風車を見たものですが、手前の橋にアクセントをつけてみました。この公園で私は5枚描きましたが、うち1枚はオランダの「マヘレの跳ね橋」を小型復元したものです。このような建造物以外に小ホール・図書室など数々の建物も配置されていますが、いずれも和風建築であるため親しみやすい雰囲気を醸し出しています。これらを描いていて、地元から名古屋の東山植物園に勤務しておられる五十川(いかがわ)さんという方にお会いし、後日作品の交換をしました。
「岐阜・川島町・河川環境楽園にて」:(1999.9.11)

東海北陸自動車道の川島インター近くに昨年開園した公園です。川島町はその名の通り木曽川の中州にある町で岐阜県に属し、南側の木曽川の対岸は愛知県です。そのため公園はこのように名づけられたものでしょう。公園内をくまなく見たわけではありませんが、木曽川に棲息する魚類の資料館などは既に設置されているほか、今後さらに整備が進められるようです。この日は非常に蒸し暑かったので、描く前に買って飲んだビールは実においしかったです。
「木立性ベゴニア」:(1999.9.12)

私が利用している床屋さんで見かけた珍しい植物です。茎が幹を形成していますが花は小ぶりながら名前の通りベゴニアで、プリンセス・ハシモトという固有名詞がついているそうです。床屋さんでは別紙にスケッチだけにして帰宅後すぐ絵にしました。
「新宿御苑のサルスベリ」:(1999.9.15)

敬老の日に新宿御苑に出かけ、目に付いたものを片っ端から描いたものの1枚です。私の葉書絵の大先生である神戸正行氏の作品に「根上がりの松」という、地上に長々と伸びた根が勢いよく描かれた絵がありますが、私もそのイメージを真似て枝にポイントを置いて描きました。
「敬老の日の新宿御苑」:(1999.9.15)

敬老の日の一こまです。高層ビルをバックにハスの葉っぱが敷き詰められたような池と、そこの橋上にしゃがんで語り合う若いカップルを描いてみました。この日は大変蒸し暑く、このように池上の風通しの良い所では談笑も良いでしょうが、絵を描くこちらは早く仕上げて涼しい所に避難しようと焦りました。作品の方は新宿御苑の広大な平面から、アングルを変えてこのように立体的に仕上がりました。
「初秋の飛騨川上流」:(1999.9.18)

岐阜県の飛騨と美濃との境目付近の金山町での光景です。ここは私の故郷の近くで、子供の頃の遠足を思い出して懐かしかったです。この辺りでは最近の地域開発の影響も余り受けず相変わらず山紫水明のままです。紅葉にはまだ1ヶ月以上もありますが11月に入ると山々は赤や黄色に変わり、本当の秋を満喫させてくれるはずです。
「インド舞踊1」:(1999.9.19)

地元岩倉市の文化活動の一環として、「民族音楽レクチャーコンサート」と銘打ったインド舞踊の公演会が開催されました。主演はダヤ・トミコさんというインド舞踊家で、踊り手は男性1人を含み総勢6名ではなかったかと思います。私はこの種の舞踊を鑑賞したのは初めてでしたが、特徴は眼・顔・指の動きにあるようです。感情が音楽のあわせて微妙・神秘的に表現されており、宗教的な雰囲気も感じさせる印象に残る公演でした。
「インド舞踊2」:(1999.9.19)

コスチュームに特徴があり、これについて公演の後質問したところ、生地は絹で金と銀の糸で刺繍が施してあるとのことです。また踊り手の皆さんは、ダヤさんが20年以上のキャリア、その他の方も数年の経験を積んでいるとのこと、プロとアマの混成のようですが観客を魅了する、本当に楽しい公演でした。私はこの2枚を含めて4枚描きましたが、写真などが禁止されていたので意味ある作品になりました。
「日比谷公園「自由の鐘」」:(1999.9.21)

日比谷公園ではかなり多くの葉書絵を描いて来ており、ここでの題材は少なくなっています。そこで園内の案内図を便りにめぼしいものを探して見つけたのがこの「自由の鐘」です。埋め込んであるプレートの解説によると、この鐘は1776年のアメリカ合衆国独立に際して米国民有志が「すべての国とその住民に自由を告げる」との独立宣言を告げた歴史的記念物だそうです。その後マッカーサー連合軍総司令官の命令で日本国民にレプリカが贈られることになり、昭和27年4月日本新聞協会に寄贈されたものとのことです。
「納屋橋の黄昏」:(1999.9.25)

東京に出張する新幹線までには多少の時間があったので、名古屋駅から20分ばかりの堀川にやって来ました。この絵は広小路通りにかかる納屋橋を南側から見たものですが、すでに夕闇が迫っているため広告塔やネオンサインの照明がほのかに目立ち始めていました。納屋橋は3年程前こ描いていますが、最近になって下を流れている堀川の浄化のために上流で他の川から導水しているので、当時より水が澄んで街の景色がこのように美しく映るようになりました。
「銀座歩行者天国」:(1999.9.26)

私が入会している「彩水会」の東京地区での葉書絵展示会を機会に、銀座周辺のスケッチの会が神戸先生の指導で行われました。丁度この日に会場に出かけたので、他の参加者と一緒に指定された場所で描いた4枚のうちの1枚です。この日は銀座通りの「歩行者天国」でこのように路上にパラソルが立てられ、その下で多くの人たちが何かを食べたり語り合ったりしていました。前方のビルはめがねの「和光」のビルです。
「銀座和光ビル」:(1999.9.26)

上の絵と連続して描いためがねの「和光」ビルです。この建物は銀座四丁目の東北角にあり、ルネッサンス様式で屋上の時計台が銀座のシンボルの一つになっています。多くの窓を細かく描いてこの「ビル」らしさを強調したつもりです。たまたまそばを通りかかった神戸先生が「細かく描いていますね」といわれましたので、後日他の人の作品をみたところ、窓を簡単にした反面時計台を強調してこのビルの特徴をうまく表しておられ、多いに勉強になった次第です。
「銀座4丁目かいわい」:(1999.9.26)

この日の銀座での最後の作品です。この店は玩具専門店で大小のぬいぐるみを路上のテーブルにところ狭しと並べており、見るだけでも微笑ましくまた楽しくなります。若い外国人夫妻が立ち止まって品物選びをしていましたが結局買わずに去って行ったようです。
「夕闇の上野広小路にて」:(1999.9.26)

この日銀座から上野近くまで移動して、夕闇に包まれた上野公園の南側で最後の1枚を描きました。日曜日夕刻のこの辺りは、デートの若いカップルやすでにかなりご機嫌の酔客など、それこそ思い思いの姿で行き来しています。暗い空と色とりどりの看板照明のコンビネーションを描いたつもりですが、何となく中途半端になってしまったようです。