「99夏の思い出」(1999.10.1掲載)

もう10月に入ってしまいました。今年の残暑は例年より長く、私の葉書絵制作意欲もやや萎えました。そこでこのページは、8月に出かけたところで目にした光景や花々と、特にこの夏に一昨年と同様中部電力の詩吟の仲間と行った郡上八幡町での釣り風景を中心に載せました。

「大賀ハス見頃」:(1999.8.1)

このハスは岐阜県羽島市の一角にあります。大賀一郎さんという植物学の博士が昭和26年に、千葉県の検見川で約2000年前に生育したと思われるハスの種子3粒を発見し、翌年発芽に成功したものだそうです。この土地には昭和50年代に千葉県から貰い受けて栽培したものとのことで、外見は現在のハスとは変わらない感じですが、2000年も前の化石的な植物がこのように生き生きと花を咲かせているのに感動します。
「立秋のコリウス」:(1999.8.8)

自宅前の遊園地の花壇にたくさん咲いています。紫蘇の系統と思われますが、葉の中央部と縁の色の組み合わせがさまざまで、しかも鮮やかすぎるので見ていると却って蒸し暑さを感じさせられます。この絵は朝描きましたが立秋とは言え暑さが身にしみてきました。
「渋谷駅の暑い朝」:(1999.8.9)

月曜日朝の渋谷駅前です。出勤のラッシャワーは過ぎておりますが、人々は暑さから逃れようと足速にいずこかへ消えていきます。正面の若者は地下道出口の塀に座って朝飯を食べながら話し込んでいます。この絵を描いている私も早く日陰に入るべく焦っているところです。
「伝通院(でんづういん)」:(1999.8.9)

東京ドームのある地下鉄後楽園駅から西北約 1km の所にある、徳川家康の生母・於大(おだい)の方の菩提寺です。開山は1415年で江戸時代には僧侶の学問所となっていたそうです。ここには2代将軍秀忠の長女・千姫など徳川家ゆかりの女性達の墓が多いとのことです。私が描いている間は暑さのせいか人はまばらでした。そう言えば今から15年程前の2月、小雪が舞う中を妻とここにお参りして御朱印を貰ったとき、お坊さんがよく御出で頂いたと丁重にお礼を言いながらお菓子を下さったことを思い出しました。
「樋口一葉の井戸」:(1999.8.9)

ここも後楽園駅から東北数 100m にあります。「たけくらべ」・「にごりえ」などで有名な作家・歌人であった樋口一葉は明治23年(1890年)この場所に住み、父親を失ったため一家の生計を立てながら貧しい生活を送って、明治29年24才で短い一生を終えたそうです。この井戸は一葉が毎日使ったものだそうですが、今もなおポンプを押しますと水が出ます。上水道が完備されている現在でも、この付近の人々はまだ利用しているのでしょう。私も筆洗用の水として少し頂戴しました。
「東大付属病院」:(1999.8.9)

この病院は東京大学本郷キャンパスのすぐ東側に面しています。私がここを題材にしたのは、あるガイドブックにレリーフ(この絵の左側玄関の上部)について紹介されていたためで、レリーフには高名な医学者や研究者がそれぞれ熱心に活動している姿が刻まれています。おそらくこの病院では多くの日本医学の第一人者が活躍しておられることだと想像しながら描きました。
「郡上八幡・旅館「三富久」より吉田川を望む」:(1999.8.22)

今年もまた8月21・22日の2日間、中部電力の太田社長さん始め詩吟部の皆さん約20名の方と、詩吟の練習と盆踊りを楽しみに郡上八幡に繰り出しました。今年は小雨が降ったりやんだりではありましたが、21日夜はかなり遅くまで「かわさき」や「春駒」などに踊り興ずることが出来ました。
この絵は翌日朝投宿した旅館の窓から描いたものです。前日までの雨でかなり水嵩が増した中、一人の釣り人が静かに糸を垂れていました。
「郡上八幡の朝市にて」:(1999.8.22)

22日朝の朝市の一こまです。地元直産の野菜や漬物などが安く売られていました。前日の盆踊りの疲れもどこへやら、この絵を描き始めてしばらくの後ほとんどの品物は売り尽くされていました。私の仲間もかなりの量の野菜などを買い込んで帰ったようです。
「郡上八幡・吉田川の鮎釣り」:(1999.8.22)

郡上八幡町の中央部を流れているこの吉田川は、かなりの釣り人で賑わっていました。しかし私が描いている延べ小1時間の間、釣り上げている姿にはお目にかかれませんでした。絶え間なく流れる川の水と、ここにじっと佇んで釣り糸を垂れる漁師、餌に近寄って食い逃げしようとしている鮎、この3者の調和というか駆け引きのようなものが一つのドラマを作り上げているのでしょう。
「郡上八幡・吉田川のある風景」:(1999.8.22)

これは吉田川に作られた小さな堰です。落差は高々50センチで、堰の下流では何百mかにわたって数10人の釣り人が思い思いの格好で佇んでいました。先日来の雨で水嵩は増しているもの、堰の上の流水は山里の美しい緑を写して自然の落ち着いた姿を見せてくれていました。
「美濃市・洲原神社」:(1999.8.22)

岐阜県美濃市の北部・長良川添いにあるこの神社は、由緒記録によると約1280年前の養老5年(722年)元正天皇の命により建立され、長享元年(1487年)に社殿が修繕されて現在もそのまま残されており、重要文化財にも指定されているそうです。うっそうと茂った森とともに荘厳な感じはするものの今では拝殿などが相当朽ちており、由緒深い神社としては非常に寂しい印象を受けました。またここの森には天然記念物の「仏法僧」が5月頃から7月に架けて繁殖するほか、種々の植物も天然記念物として指定されているなど、優れた自然環境を満喫できる場所として親しまれているとのことです。
「さざんかの中の一輪の百合」:(1999.8.22)

自宅のさざんかの生け垣の間から道路に向けて白百合が1本だけ花を見せてくれました。この時期はあちこちで咲いていることからどこからか種子が飛んできたものと思われますが、さざんかの濃い緑と調和してなかなか赴きがあります。最近は百合の種類が増えていろいろな名前がついていますが、やはり白百合は栽培する百合の原点ではないかと感じながらこの絵を描きました。
「JR市ヶ谷駅」:(1999.8.27)

市ヶ谷での午後の講演会まで多少の時間が合ったので、JR市ヶ谷駅を神田川の向こう側から描いてみました。丁度昼休みの時間帯でしたが、総武線の黄色い電車がホームに止まった光景に出会うことが出来ました。もっとも総武線は数分毎に通過しているので、この1枚を描く間に4〜5本の列車が通過していることになります。
「残暑のカンナ」:(1999.8.29)

妻が友人から頂いて庭先に植えたカンナが、見事な花を付けています。肥料をふんだんに与えたこともあり、葉ばかりがやたら大きくなって開花が多少遅れたようです。カンナは夏から初秋にかけての代表的存在で咲いているときは豪華な感じを受けますが、しぼんだ物は枯れた花びらがこぶこぶの種子に付着して垂れ下がるという、あまりいただけない姿を見せてくれます。
「残暑・涼を求む」:(1999.8.29)

この花は私の庭に自生した雑草で、植物図鑑に寄れば「洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)」という植物だそうです。未だ小さな苗のとき妻がケイトウと勘違いして残しておいた処、成長してこのように小さな白い花から次第に緑色の粒になるぶどうの房に似た穂を付けてきました。この粒は最後に黒く色づくらしいのですが、1ヶ月以上にもなるのにまだ次々と新しい穂が増えるのみで本当の実は見られません。