「東京日本橋東北部の風景(その1)」 (2000.10.10掲載)

私の勤務地が本年4月、4年9ヶ月過ごした三重県川越町から再び東京(豊島区南大塚)に変わり、さらに6月から中央区東日本橋に移動しました。中央区はその名のように東京都の中心部でも古い市街地で、銀行・証券・デパートなど古くからの金融や商業が栄えた所です。特に私の事務所が位置する日本橋や浜町などは下町で、商店街も昔から続いた衣服問屋やお菓子屋などが軒を並べて活気が感じられます。また東側を隅田川が流れて遊覧船や運搬船が往来し、その上の多くの橋や高速道路を見ることができます。このような地勢ですから、私の葉書絵の題材には事欠きません。約4ヶ月の間にこの付近で描いた作品は50点を超えました。これらをシリーズ風にご紹介することとし、今回はこれらの中から20点をご覧頂きます。

「初夏の両国橋」:(2000.6.15)

両国橋は隅田川に掛かっていて西側は中央区日本橋、東側は墨田区両国です。この絵は東日本橋に移って初めての作品で、橋を下流から見たものです。当日は薄曇りでしたが、朱色の橋桁が鮮明でした。橋の上は車がひっきり無しに通過し、、数多い隅田川の橋のうちでも車が多い方ではないかと思います。橋の更に上流にはアサヒビール本社の特徴あるシンボルがあり橋上から良く見えます。また両国橋を渡って北東数100mのところに両国国技館と江戸東京博物館があります。
「水天宮・梅雨の晴れ間」:(2000.6.27)

水天宮は私の事務所から約20分のところにあり、 安産と水難の神様として名高い神社です。長男の嫁さんが妊娠したとき妻とともにお参りもしました。また境内にある弁財天は日本橋七福神の一つになっています。この絵は朝の出勤途中少し余裕があったので回り道して描きました。午前9時前というのに蒸し暑さが応えました。正面では2・3人の巫女さんが静かにお祈りをしていました。私たちが普段見る巫女さんはお札所に座っていることが多いですが、このように仕事始め?の前にお祈りをするという習慣がある事を初めて知りました。
「両国橋西詰」:(2000.7.3)

両国橋の歩道中央付近から東日本橋方面を見たものです。橋には欄干の東と西の端に直径1.5m程の球状のモニュメントがあります。この絵では地味に描いてありますが、この球が両国橋を特徴づけているものと思います。また球には周囲にガラス窓らしきものがあるので、夜間には球の中の照明が点灯されるものと思われます。
「隅田川・新大橋」:(2000.7.5)

隅田川にかかる橋としてはモダンな形をしており、橋は吊り橋のようで支柱は鮮やかな黄色です。この絵の手前側は日本橋浜町、向こう側は江東区新大橋です。私の事務所から橋までの距離は約1kmで途中に浜町公園等があるほか、この橋のたもとには隅田川に沿った歩道があるため昼の散歩には最適です。ただこの付近は車の騒音がかなり大きいため、昼休みを楽しむ人の姿はまばらでした。
「浜町「若松屋」にて」:(2000.7.7)

浜町や東日本橋界隈ではこのような小じんまりとした商店を多く見かけます。この下駄屋さんもかなり古そうで店の歴史などに興味を覚えましたが、買わないのに店に入るのも気がひけたのでこっそり絵だけ描かせてもらいました。「若松屋」という名前もなかなかフィットしていると思います。後日店内をのぞいて創業大正13年という張り紙を目にし、あの世界大戦の戦禍を経て80年近くこのように小さいながら風格が保たれていることに感銘を覚えました。並べてある下駄は格調高い婦人用、今では余り使われないと思われる男性用、可愛くてはなやかな子供用など色とりどりで、見ていても飽ききません。
「日本橋横山町・問屋街にて」:(2000.7.12)

婦人服が並べてある商店で中年のご婦人が品定めしている情景です。結局買わずに立ち去りましたが、問屋であるため値段はかなり安いものと思われます。この界隈の商店街では「小売りはしません」という張り紙をよく見かけます。一方では「何枚いくら」とか「靴下5足300円」などの張り紙もあり、いろいろなナリをした客が立ち止まって眺めています。
「浜町のある路地」:(2000.7.13)

このあたりの町並みは古いためか、このような路地を挟んだ和風建築も見かけます。この路地の長さは50m程度ですが、白い花が満開のムクゲなどがぎっしり並んでいました。左下の赤い箱には火災報知器のボタンスイッチなどが入っているようです。このようなものはここに来て初めて目にしましたが、この界隈にはあちこちに設置されています。
「甘酒横丁より明治座方面を」:(2000.7.18)

甘酒横丁は浜町公園から西方約1.5kmに続く商店街で、昔ながらのお菓子屋さんや小道具雑貨店が並んでおり、都心とは違った風情が感じられます。明治座は甘酒横丁の東の端、浜町公園の入り口にあります。建物は構高層の賃貸ビルらしく、1階の明治座入口に接して銀行の玄関があります。さすが明治座ご当地だけあってこの付近にある地下鉄の駅のいたるところに明治座の公演ポスターが貼ってあります。
「浜町公園にて・昼食の娘たち」:(2000.7.18)

この界隈いたるところに多くのコンビニやお弁当屋さんががあり、昼食時ともなると多くのサラリーマンや若いOLが、白いビニール袋に入った弁当などを下げて歩いています。そして公園やちょっとした木陰ではこのように談笑しながら昼食をしているグループが目に入ります。結局このあたりの企業では社内食堂を持ったところが少ないことの表れではないかと思います。
「神田川・昼寝する屋形船」:(2000.7.19)

私の事務所から神田川の最も近い所まで約15分、そして神田川の下流にはこのように屋形船が繋がれています。昼間の今はこのように屋根を並べて静かに眠っています。屋根の色は主に緑と赤のようです。船の周りにはそれが繋がれている支柱が林立しておます。船宿の看板がある乗船場の女性に聞いたところり、これらの船は宴会場兼遊覧船で主に夕刻に出帆し、隅田川を経て東京港のお台場まで2.3時間で往復しており、団体客があれば昼間でも運航するそうです。この時刻では大体停泊することが多いようでまさに昼寝を貪っているというのがぴったりです。
「浅草橋と屋形船」:(2000.7.21)

上の絵を描いた2日後、再び神田川に出かけました。この絵は神田川の下流側から浅草橋を見たものです。私は最初浅草橋は隅田川に掛かっていると思っていました。神田川にかかるこの橋はかなり多くの車が往来しています。自動車の「動」と橋の下の屋形船の「静」が対照的です。夜ともなればこれらの船がたくさんの照明を点灯し、老若男女を乗せて隅田川から東京港に繰り出し、闇が深まったころには酔客を乗せて戻って、自らも再び眠りに落ちる。そんなことを想像しながらこの絵を描きました。なおこの橋の左側は中央区、右側は台東区です。
「真夏日・まどろむ男」:(2000.7.24)

梅雨が明けて非常に蒸し暑い日々が続いています。この界隈の公園や木陰にはこのように暑さを避けて夢を貪る男を見かけます。ここは浜町公園の一角で昼休みにも関わらず暑さのせいかあたりを行き交う人もまばら、横たわっている当人も安心して眠れるかも。それにしても身につけている衣服は割合まともでした。
「柳橋(東京)」:(2000.7.28)

神田川に掛かる橋のうち最も隅田川の近くにあります。橋の名前も神田川のこの付近に植えられている柳にちなんで付けられたのではないかと思います。この絵は北側から描きましたが、鉄骨が太くどっしりして男性的な形をしています。通過する車の数はあまり多くなく、神田川の屋形船を眺めるにはぴったりです。後日この橋を通った時数人のご婦人がスケッチをしていました。
「中央区立総合スポーツセンター」:(2000.7.31)

浜町公園の一角にあります。東京都中央区立というだけあって非常に立派なスポーツセンターです。建物は数階あり、ちょっと覗いたところでは数多くの施設が整備されいて、地下にはプールもあります。またレストランも1階にあり、多くのサラリーマンがトレーニングでなくランチングのため出入りしていました。スポーツセンターの裏庭は木々や芝生で覆われて、あちこちに屋根付きのベンチや小さな滑り台なども並べられており、休息や子供たちの遊戯の場として利用されています。
「小諸そば浜町店にて」:(2000.8.2)

人形町から浜町一帯には数多くのそば屋があります。この「小諸そば浜町店」は私がほとんど毎日利用しており、特に「冷やしとろろそば」の大盛りは値打ちでおいしく私の最もお気に入りです。「小諸そば」はここのほか地下鉄人形町駅近くにも2軒あります。どこも立ち食いですが昼食時には狭い店内に客がひしめき活況を呈しています。食べ終わって食器を返すと店員が「ごていねいに恐れ入ります」と声をかけてくれますが、これも商売繁盛のコツでしょうか。

「人形町二丁目にて」:(2000.8.3)

人形町というより浜町を横切るかたちで南北約500mにわたって、幅約20mのグリーンベルトがしかれています。その中間に溝が造られ絶えず水が流れていますが、その出発点はこの絵にある湧水口です。時々小鳥がきて水を飲んでいます。グリーンベルトはかなり大きな木々で覆われており、水の流れとあいまって夏の暑さから私たちを救ってくれているようです。
「真夏の甘酒横丁」:(2000.8.3)

真夏の真昼、甘酒横丁は昼食を求めあるいは食べ終わったサラリーマン達で賑わっています。往時には甘酒屋が並び老若男女がゆったりとたむろしていのたでしょうが、現在はいろいろな商店街の前を昼間はにサラリーマンやOLがせわしく行き来し、夜には街灯の下を酔っ払った男達が通り過ぎて行く、それでも下町の風情だけは変わっていないと思います。
「準備万端納涼大会」:(2000.8.4)

私の通勤ルートの途中には幼稚園を併設した中央区立富沢小学校があります。学校裏の道路ではこの日の夜納涼盆踊りが催されるため、前日から準備が行われていました。中央にやぐらが置かれ、両脇に屋台やテントが並べられて何時でも始められる状態です。道路は余り広くないのですが隣接する校庭や遊園地を加えれば相当広い盆躍り会場になりそうです。ここは事務所の近くなので参加して安いビールなど飲めたでしょうが、今日は金曜日なので帰宅しなければならず残念。
「隅田川ぞい東日本橋(一)」:(2000.8.7)

隅田川のほとり両国橋の南にある日本橋中学校付近から見た光景です。このあたりはいずこもしっかりと枝を垂れた柳並木が目立ちます。昼休みでもあるためか、近くのオフィスや通り掛かりで昼休みを取っている車が多く止めてありました。夏も真っ盛り、隅田川からはほんのかすかな涼風が流れて来ました。
「馬喰町・新道通り」:(2000.8.8)

このあたりは中央区の下町、問屋街の中心部です。道路を挟んで大小の店が並び、婦人服、カバン、靴下、織物などあらゆる物がうず高く積まれています。買っている人はまばらですが、主に問屋であるため店の奥では商談が進んでいるかも知れません。この絵の中央の女性は今はやりの「茶髪・ガングロ・ヘソ出し・厚底」です。それでも東京ではこの手のファッションは少し下火になったようです。