「春色満開・そして新緑へ」 (2001.5.1掲載)

21世紀最初の春を迎えました。カレンダーのページに関係なくこの時期は桜がわが世の春を謳歌し、せわしく動き回っている私達にいっときの忘我と安らぎを与えてくれます。私の住んでいる岩倉市は全国桜百選にノミネートされている「五条川の桜」が、今年は天候にも恵まれて豪華な花景色を展開してくれました。幸い私はここ以外にも新しい桜風景を楽しむことが出来ましたので、その後に続いた新緑も取り込んで今回のシリーズをまとめました。

「春分の日に」:(2001.3.21)

自宅南の駐車場で今年は珍しく沢山のつくしが生えました。過去につくしを描いたことがない私にはお誂えの題材になりました。丁度春分の日で暖かい陽射しを浴びながらのスケッチです。これだけ多くのつくしなので摘み取って食卓にと思いきや、「そこは犬の排泄場所だから」との妻のことばに従い、この葉書絵だけを収穫にした次第です。
「河川環境楽園春間近か」:(2001.3.21)

木曽川の、愛知・岐阜両県の中間に位置する岐阜県川島町、ここに数年前完成した河川環境楽園はまだ桜の花がつぼみの状態でしたが、春はすぐそこまでという感じです。ここは自宅から車で30〜40分の距離で、幼児を連れたり乳母車を押したりして散歩をしている若いママや老夫婦を見ると、私達も早くお嫁さんや孫を連れて来られるようになればと羨ましくなります。
「桜満開・岩倉駅」:(2001.4.1)

名鉄岩倉駅西ロータリーには桜は2本だけ。それでも電車やバスの乗降客などにはいっとき眼を楽しませてくれます。この桜は五条川に比べて開花時期が早いですが、それはバスやマイカーの発着による周囲温度の上昇が原因のようです。
「久松小学校裏・桜花満開」:(2001.4.3)

私の東京の事務所近くにある小学校のピンク色の桜と、道路を挟んだ北側の小公園のうす緑色の桜が対照的に咲き誇っています。この道路は、小学校や幼稚園の校庭の一部として使われていて自動車の進入が禁止されていることもあり、昼休みの絶好の花見道路となっています。また夏にはここで納涼まつりが行われます。
「寺尾千本桜開花を待つ」:(2001.4.7)

岐阜市北部にある武芸川町寺尾の千本桜、名前の通り道路をはさんで数多くの桜が植えられています。1年ほど前にここを通ったとき、妻が来年はここで花見がしたいと楽しみにしていましたが、いざ来てみると残念ながら時期が早すぎてつぼみも固くがっかりして帰った次第です。まあ折角来たのだからと途中で買いこんだ弁当を広げ、花見のつもりで食べました。しかし私達以外にもかなり多くの花見客?が訪れており、売店も結構繁盛していました。
「岩倉山車を見た」:(2001.4.8)

岩倉市の桜まつりは4月1日から10日まででした。今年は期間中雨にも見まわれず十分花を楽しむことが出来ました。この桜まつりでは3台の山車が市内を練り歩きますが、天候に恵まれたため多くの老若男女が集まった中で得意の「カラクリ人形」の舞いを披露してくれました。「カラクリ人形」は海外の人々に賞賛される日本芸能の一つで、岩倉でも古い歴史があるようです。
「桜花の向うは・・・」:(2001.4.8)

五条川を覆うようにあちこちの満開の桜がはいだしています。川向こうでは家族連れや若いカップルが楽しそうに何かをほおばっていました。桜は少し散り始めて水面は既に花びらのじゅうたんが流れています。五条川の桜を題材にした私の葉書絵は相当数に上っていますが、よく観察するとまだまだ新しいモチーフが生まれそうです。
「岩倉桜まつり満開」:(2001.4.8)

上の絵の近くで、川向こうに張られた赤白の屋台の幕をバックに描いたものです。この絵からは想像できませんが、屋台の前では狭い道路を花見客がひしめきながら移動しています。逆に川に面した歩道は、このようにのんびり歩いています。やはり「花」より「団子」を求める人が多いためでしょうか。
「浜町公園・しだれ桜」:(2001.4.9)

東京中央区浜町公園の一角です。このしだれ桜は、1997年7月にNHKラジオ体操全国大会がここで開催されたのを記念して植えられたものだそうです。これ以外の桜は殆ど散っており、そのせいか非常に目立った存在です。周りの木々は少しずつ緑が濃くなっており、芝生の色と共にサラリーマンの眼を休ませてくれそうです。
「桜ふぶきを楽しむ」:(2001.4.11

五条川上流、江南市内の風景です。桜並木のそばの細い遊歩道をご婦人達や数人のグループが楽しそうにおしゃべりしながら通り過ぎて行きます。桜もピークを過ぎて、行き交う人達の頭には春風に飛ばされた花びらがふぶきのように降りかかっています。道路の脇には菜の花が花水木は秋の紅葉も楽しめます。桜の花と調和するように細長く黄色い帯を横たえています。
「花・主役交代」:(2001.4.18)

私の通勤道路になっている八雲通りの桜は八重を除いて殆ど散ってしまい、花水木が自分の立場を誇示するかように咲き誇っています。この桜が満開のときは樹木の太さも含めて大変豪華な感じを受けました。まさに主役の交代です。樹木の大きさからも長老と若者という感じで、可憐な花は象徴的です。緑のバックに淡いピンクが対照的で、花水木は良く目立つ存在ではありますが、通りすぎる老若男女にどれだけ関心をもたれているか興味のあるところです。
「清正公寺(浜町公園)」:(2001.4.18)

浜町公園の一角にこじんまりと建てられています。由来は知りませんが名前からすればきっと加藤清正を祀ったお寺でしょう。昨年から続けられていた修復作業が終って、最近全体が現れて来ました。お堂の前にはこれまた瀟洒な庭がしつらえてあり小さな池もあります。お参りしている人は見かけず、私もほんの少しのお賽銭をあげて家族の幸せなどを祈りました。
「花水木満開」:(2001.4.21)

自宅玄関前の花水木を描きました。この木は一昨年の丁度今ごろ買って来たものです。昨年の花はどんな風だったか記憶になく、今年改めて観察すると木はまだ小さいものの、花の色といい形といい優雅な感じがしてこれから先が楽しみです。間もなく花が散り、次第に葉の緑に姿を変えます。また花水木は紅葉もきれいでこの秋が楽しみです。
「八重桜と新緑の上有知湊跡灯台」:(2001.4.24)

岐阜県美濃市にあるこの灯台を描くのは2度目です。そばの八重桜が満開で灯台と良いコントラストを見せています。新緑風景はどれだけ描いても題材に事欠かず、画面の中の色合わせというか内容のバランスを考えれば単純ながら楽しい絵になります。
「新緑到来」:(2001.4.24)

同じ美濃市の上流側を描いたものです。遠くの山々の淡い緑と赤い橋、手前の岩の縞模様など、小さな1枚の絵の中に数多くのモチーフを描いてみました。この絵には表せなかったのですが河原ではたむろする人影が新緑を謳歌しています。