「2002年9月の記録」 (2002.10.15掲載)

10月も半ばになり本格的な秋が到来しました。今回の葉書絵作品は9月中に描いたものが20点以上ありますので、その中から15点をご覧頂くことにしました。作品は行った先で見かけた風景などが中心ですが、まだ秋の景色には程遠くそのため却ってユニークなものも出来ました。また9月は名古屋での彩水会展を開催しましたので、設営などの機会を通じて約170名の方々の作品に触れることができ大いに参考になりましたが、自分のカラーを脱するほどにはいたりませんでした。

「枝を掃う男達」:(2002.9.3)

東京の都心で見かけた光景です。多分青桐だと思いますがすっかり葉の生い茂った樹木の枝が数人の作業員によって切り落とされていきます。この絵のモチーフは樹下に立って竹製の熊手を振りかざす男です。また描いている間に皆隣の樹に移動してしまい、後には切り落とされた枝が根元に積まれていました。
「名古屋彩水会展・「きち」さんからの祝花」:(2002.9.8)

名古屋での彩水会展は9月3日から8日まで愛知芸術文化センターで開催されました。この花は私がたまに覗く名古屋市内のスナックから頂いたお祝いで、今回の展覧会唯一のお祝いです。最終日に会場に出向いてスケッチし、自宅に帰って着色しました。半の名前などはまったく知りませんが、受付のテーブルにこじんまりと置かれて葉書絵展の会場にはうまくマッチしていると思いました。また「きち」さんに行かなくっちゃ。
「夏閉幕近し」:(2002.9.12)

夏の間高いところから我々を見下ろしてきた向日葵のひときわ大きな花は、9月中旬にもなるとこのように変色してうな垂れて一時の雄姿は面影もありません。私自身向日葵を描いたことは過去に一度もありませんが、理由はこの花があまりにもポピュラーとの認識によるものです。この日は変わった題材を求めて自転車を漕いでいたとき発見しましたが、なかなか面白い絵になりました。ちょうど通りがかりのご婦人が足を止めて見てくれましたが、絵には少なからず関心があり自分も葉書絵の制作に挑戦したいとのことでしたので、彩水会への入会を勧めました。多分入会してもらえることと思います。
「美濃和紙の里会館」:(20029.14)

岐阜県美濃市の西部で板取川に面したにあるこの館は、地場産業の和紙や種々の紙製品の資料館です。私はこの付近をよく通りますが時々屋外から覗き込むのみで、入館したことは一度もありません。しかしここはかなり多くの入館者があるようで、特に外国のご婦人には紙製品造りの体験なども人気があるようです。周囲は畑や丘に囲まれていてかなり特異な存在という気もします。
「薬用植物を観る人たち」:(2002.9.15)

ここは岐阜県川島町にある「内藤記念くすり博物館」での光景です。この博物館は大手薬品メーカーであるエーザイ鰍フ創業者・内藤豊治氏が1971年に日本で初めての薬に関する総合資料館として開設されたもので、この絵のよう展示室などの建物と薬用植物園があります。薬に関する収蔵資料約5万点のほか、薬用植物園には600種を超える薬草や薬木が栽培されているそうです。私がここを訪れた時には何組かのグループがこのように直接植物に触れて説明を受け、中には植物をもらっている人もいました。
「大サボテンの可憐な花」:(2002.9.15)

これは上の薬用植物園で描いた植物の絵3枚の内の1枚です。青空に向かって大きなサボテンが伸び上がり、その先にピンク色の花が子供のように乗っているという感じでした。サボテンの効用についての説明板がそばあったようですが、絵を描くのに夢中で読み忘れました。
「赤坂プリンスホテルとある商社建物」:(2002.9.19)

仕事上の最も関連深いNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のフォーラムに出席したついでに、会場となったホテルを遠望して描いたものです。ホテルの縦じまで機械的な造形と手前の赤レンガからなるヨーロッパ風の建物との対照は、葉書絵の題材としては面白みがあります。また赤坂あたりは数え切れないほどの高層ビルが林立して特徴が無いので、このような景観に遭遇できるのは珍しいです。
「紀尾井町・清水谷公園にて」(2002.9.19)

上の場所から西北徒歩15分ほどにあり、小さな心字池を取り巻くこじんまりとした公園です。ここは江戸時代に紀伊家と井伊家の境界地だったところで、その一角に1878年ここで暗殺された参議内務卿の大久保利を追悼して1888年に建立された碑があります。あまり目立たない公園であるためか訪れている人はほとんど見かけませんでした。
「修行弘法像」:(2002.9.21)

私がよくお参りする迫不動の境内に立てられている老年の弘法大師の等身大の石像で、昭和58年1月に敬虔な信者が建立されたもののようです。境内の奥の院近くにはまだ若いときの弘法大使像も建立されておりますが、二つの像はそれぞれ修行前と修行を積んだ後の顔の表情が異なっており、こちらは威厳と慈愛に満ちた表情で像の前に立つだけで仏のお恵みが授けられそうな気分になります。
「迫間不動尊参道入口」:(2002.9.21)

上の弘法大師像は参道途中の石段手前に建てられており、、ここはその参道の入口部分です。この日は週末でしたが紅葉には間があるためか、参拝客はまばらでした。鳥居のそばに見える松の樹は鳥居とともにこの参道のシンボルになっているように感じます。またこの参道の右下には池があって、以前はアヒルが1羽元気よく鳴きながら泳いでいましたが、そのアヒルも今は居らず長い間の晴天続きで池の水は濁っていました。
「迫間不動境内の小仏像群」:(2002.9.22)

参道の途中にあるこの小さな石像群は狭い斜面に五百羅漢を髣髴させるように並んでいます。仏像は小さいながらいずれも柔和な表情をしています。またここは普段手入れすることもないようで、石像の間にはこのように蔦など雑草がかぶさるように生い茂っていました。
「彼岸花と青い橋」:(2002.9.22)

五条川で見かけた初秋のシンボルです。向こうに見える青い部分は、後から気がついたのですが橋と平行しておかれた上水道の配管ですからタイトルに偽りありです。この彼岸花もまだ咲き始めで、1週間ほど後には花はかなり増えていました。彼岸花は花が咲くまでその存在がわからない植物ですが、群生したものは遠くからも赤いじゅうたんのようによく目立ちます。この花の特徴は雄しべと雌しべが一般の花と異なって花びらより外に突き出していることです。最近は白い花もよく見かけますが、赤い方がヒガンバナという名前にふさわしいような気がします。
「瓢箪と朝顔」:(2002.9.22)

近くの畑で見かけた光景です。千成瓢箪の棚に接して朝顔の蔓が延びており、この絵を描いたのは夕方近かったのですが朝顔の一部の花はまだしぼむことなく、瓢箪に負けじと自己の存在をアピールしているかのようです。しかし初秋のこととて蔓や葉の方は茶色に変わってきており、10日ばかり後に通りがかった時には、これらは全部取り除かれていました。
「フウセンカズラの初秋」:(2002.9.29)

フウセンカズラの素朴な感じは私のスケッチ欲をそそり、昨年秋に近所の畑で拾った種子を鉢植えして育て、やっと初めて描いたものです。拾った種子は十数個、軒下の植木鉢の中入れて今年の夏に備えましたが、冬の間にスズメか何かの小鳥にほとんど食べられてしまい、残った3個をこのように育てました。フウセンの形も面白いですが、中に入っている直径3mmほどの種子の白黒の模様がソフトボールの縫い目とよく似ているのも珍しいです。多分表面積を最小にする自然の造形の知恵かもしれません。
「ショウジョウソウ」:(2002.9.29)

自宅のそばの道路わきで見かけたこの花は、非常に珍しく特徴があるので早速鉢植えにして描きました。、中央に可愛い花が集合し、周りは赤い苞葉(ほうよう)に囲まれています。赤い部分は葉の成長に伴ってこの絵のように緑に変わリます。この花はポインセチアと同じトウダイグサ科で、花の形状と苞葉(ほうよう)が変化するのも良く似ています。もともと北米南部が原産の帰化植物で、今では観賞用として栽培されているようです。お隣の家にはたくさん自生しておりますが名前がわからず、家の近くや東京の職場近くの花屋さんで聞いたり、図書館に足を運んで調べてもわからなかったので、庄内緑地公園(名古屋市内)を訪れて専門家に会い、その方の図鑑でやっと見つけることが出来ました。今回この花を知った喜び以外に、花に関係している人達に共通した親切な態度(必ず後日電話で何らかの回答をしてくれた)に感激しました。