「2003年秋に興じ、昭和の日々に思いをはす」 (2004.1.1 掲載)

また新しい年を迎えました。昨年もいろいろな出来事がありましたが、私個人でも2月に長男の二女が誕生し5月に父が他界するなど、自分の周囲に宿命的で大きな変化が起こって来ました。このような変化を超えて毎日の生活の一部をささやかな楽しみに費やすことが出来たのも事実です。特にこの秋は昨年4月に美濃加茂市に開園した「日本昭和村」をたずね、思い出を作るのも兼ねて何点かの葉書絵を残すことも出来ました。そこで今回は後半に「日本昭和村」を特集し懐かしい風物に思いをはすことにしました。
「モリゾー&キッコロ」:(2003.11.8)

「モリゾー&キッコロ」は愛知県瀬戸市を中心に2005年3月から半年間開催される国際博覧会(愛称「愛・地球博」)のマスコット・キャラクターで、ポスターやバッジなどでもおなじみになっています。モリゾーは右の大きい方でおじいちゃん、キッコロは左の小さい方で生まれたばかりの子供で、会場となる海上(かいしょ)の森の精を表しているとのことです。この絵は私の地元の「ふれあい祭り」の出し物として登場していたものを描いたものです。
「秋雨けむる曾木公園」:(2003.11.9)

岐阜県土岐市にある小さな公園です。ライトアップして映し出された紅葉がテレビで放映されたのを偶然に見かけ、付近の道の駅で場所を尋ねながら雨の中をやっとたどり着きました。もみじの木は10数本で雨の影響もあってあまり目立たないですが、夜間照明で見ればテレビ画面以上に迫力が感じられるものと思います。公園内には地元の農産物を並べた店がありますが、雨のせいか訪れるひともまばらでした。

「晩秋の朝の千鳥ヶ渕」:(2003.11.14)

皇居西側にある千鳥ヶ渕公園で描いたものです。ここは桜の名所でシーズン中は満開の桜と花見客で非常に賑わしい場所ですが、晩秋の現在では桜が落葉して周囲は常緑樹ばかり、また朝のためボートも係留されたままです。都心の静寂の一こまという感じで、寂しい千鳥ヶ渕の姿を初めて目の当たりにしました。
「兜(かぶと)神社」:(200311.14)

東京証券取引所に隣接して祀られており明治11年(1878)に建立されたとのことで、証券取引所の代名詞になっている「兜町」の中心部にありますが、あまりにも小さな神社のためかほとんどの地図には載っていません。しかし銅葺きの屋根や茶色の建具、品の良い鳥居などは古い神社の風格をありのままに示していると思います。これに比べて証券取引所や周囲の証券会社の建物の巨大さには大変驚きます。背景の高速道路も野暮ったい。
「晩秋の朝の下呂温泉街」:(2003.11.17)

昭和29年春岐阜県の小さな中学校を卒業した私たちの同窓会が下呂で開催され、約10年ぶりに出席しました。
今回は総勢14人で全クラスの4割程度でした。今ではもう60代半ばでそれぞれ孫もある身ですが、童心に返って恥じも忘れお互いに古い思い出話に花を咲かせたものです。この絵は宿泊した旅館近くで翌朝描いた晩秋の温泉街です。山々の紅葉は終わりに近くまもなく冬支度に入ることでしょう。
「紅葉越しにダムを見る」:(2003.11.17)

下呂からの帰途のドライブ中に描きました。飛騨川に設けられ燃えるような紅葉を通して見えるダムからは、大量の水がゲートから噴出すように流れその音は静かな狭間にこだましていました。また紅葉も今年最後の鮮明な色を強調し、晩秋の青空に応えているようです。この界わいは「中山七里」といわれるハイキングコースの一部ですが、子供の頃に来た懐かしい記憶が蘇って来ました。
「軍港逸見門・波止場衛門・横須賀・ヴェルニー公園にて」:(2003.11.20)

神奈川県横須賀市に出張したついでに描いたものです。この公園はフランス人の設計で造られて現在は米軍の潜水艦母港で有名な横須賀港に面しています。公園中央部にはこのような門が設けられています。門のアーチ型の屋根が日本離れした特長をかもしています。
「日本昭和村入場門」:(2003.11.22)

「日本昭和村」は岐阜県美濃加茂市蜂屋町に2003年4月16日オープンし、女優の中村玉緒さんが名誉村長をしています。妻と初めて訪れあちこちを見て回りました。主として昭和30年代以前の町並みや人々の生活様式などがモチーフになっていますが、私自身が昭和10年代の生まれで、少年期には養蚕の手伝いをしたり母が機織(はたおり)するのを見てきているので、当時の光景が髣髴と蘇って来て大変懐かしさも感じました。最近あまり感激しない妻もここは気に入ったようです。
「日本昭和村「かいこの家」にて」:(2003.11.22)

久しぶりにかいこにお目にかかりました。桑をついばんでいるこの幼虫を見ていると中学時代までの、畑で桑の葉を摘んでかいこに与えたこと、体色が黄色がかったかいこを餞別して繭を作る器具に移したこと、器具から繭を取り出したことなどがはっきり思い出されます。現在の日本では養蚕や絹糸の生産は歴史上の物語になってしまった感がありますが、この小さな虫を見ているもう一度あの時代に戻ってほしいという思いがつのります。
「日本昭和村「食の工房」前にて」:(2003.11.22)

間口の長いこの建物の中では、パンや和菓子などのすぐ口に入るものから豆腐やこんにゃくにいたるまで、それぞれの専門職人が腕を競っていました。また客自身も食品作りに挑戦できるなど、新しい「村づくり」のアイデイアが生かされています。、青空の下で残った紅葉を楽しんでいる晩秋の連休の1日です。
「日本昭和村「れんげ号」」:(2003.11.22)

村内ではこの「れんげ号」と「どんぐり号」が唯一の交通機関として巡回しています。蒸気機関車の形をした自動車が引っ張る連結バスのようですが、おとぎ列車の雰囲気が漂いかなりの人気もあるようです。妻も興味を示したので乗ってみようかとも思いましたが、思いとどまってこの絵を描くことにした次第です。
「日本昭和村・つり橋」:(2003.11.22)

村自体の面積はあまり大きくないですが、昭和村の名前にふさわしく村内には畑やちょっとした野山があり、中央部を流れる小川にはつり橋がかかっています。こじんまりとしたエリアの中に昭和の風情をちりばめようとした気配りと温かみも感じられ、特に自分たが育った時代と場所がこのように再現されていることに懐かしさを感じました。
「日本昭和村「だんご茶や」にて」:(2003.10.24)

「だんご茶や」ではみつまめ、五平餅などを売っています。この絵はみたらしだんごを焼いている若者を描いたものですが、長い列になった客の注文をさばくために、スケッチしている私のほうには目もくれずただひたすら串を回転させております。私たちもここで昼食をとることにし、この若者が焼いたみたらしだんごを10本注文しました。

「正眼寺の晩秋・山門」:(2003.11.24)

この秋も再び正眼寺にお参いりし、もみじに囲まれた山門を描いてみました。このお寺がふもとの集落からあまり離れていないのに、山深い印象と落ち着いたたたずまい、さらに秋には境内を取り巻く木々の紅葉が一時の心の安らぎを与えてくれます。新しい年の3が日には多くの老若男女がこの門をくぐることでしょう。
「静寂の兆し・晩秋の里」:(2003.11.24)

正眼寺の帰途で見かけました。いくつかの富有柿が晩秋のシンボルのように落葉した木に残っていました。枝が垂れ下がっていることから一時かなりの実が付いていたものと思います。柿の木のそばには手漕ぎポンプがひっそりと突っ立ち、後方の農機具小屋とともに静寂の冬を待っているという感じです。