「私を癒してくれた2004年5月の風物」 (2004.6.15 掲載)

今年の5月はゴールデンウイークと他の休日を利用して、新緑とともに由緒?ある土地を訪ねて約2000kmをドライブしました。そしてそこここで目にした建物などをデジカメ写真撮影とともに約30枚の葉書絵に収めました。特に記録としても意義深いのは、私の故郷岐阜県白川町を巡って母校や亡き父が築いた史跡などを描くことが出来たことです。また色や形が珍しい花にも出会うことが出来、葉書絵作成を通じて大変癒された思いです。

「カヌーに興じる若者たち」:(2004.5.1)

ゴールデンウイークの1日を利用して、最近岐阜県郡上市になった美並方面をドライブしました。
この絵は道の駅「美並」の下の、まだ水温が低いと思われる長良川で両端が扇形になったオールを懸命に動かしている若者の姿です。激しい水流に逆らって数人の若者が順次漕ぎ出しますが、中には漕ぎ方を誤って水中に潜り、ウエットスーツの原色が波に隠れてしまう者もいました。この場所はカヌーの訓練に適しているらしく、こうした姿を秋口まで目にすることが出来ます。


「みやげ・食堂「こぶしの里」」:(2004.5.2)

岐阜県武儀町から七宗町にいたる県道は「こぶし街道」と名づけられ、舗装が十分になされて車が少ないので快適なドライブが楽しめます。この店は道路沿いにあるみやげ物販売をかねた食堂で、数少ない店の1つです。正面左側の徳利と槍を持った侍の等身大の人形は、だれか由緒ある人物のレプリカかもしれませんが、顔の表情からは秀作といえず近寄って眺める客は見当たりませんでした。

「母校の古校舎」:(2004.5.2)

この建物は岐阜県白川町の北部にある廃校です。私自身丁度50年前の昭和29年まで小学生・中学生の9年間をこの校舎で学びました。廃校になったのは昭和60年だそうですが、現在は公民館「見知食作館(みちくさかん)」と名づけられ、大工養成学校「濃飛建設職業能力開発校」なども開設されているとのことです。ほとんど当時の原型をとどめている校舎の周りをゆっくり巡りますと、教室での出来事や先生や友達の面影などが走馬灯のように懐かしく思い出され、自分の齢60代半ばの重みを実感させられました。なお廃校後の情報は白川町教育委員会の藤井様のご好意によるものです。
「安江一族祖先の砦跡」:(2004.5.2)

母校から車で10分ほど南に来たところに建てられています。これは昨年5月に他界した私の父親が20年ほど前に思い立ち、父の友人を始め私も含めた親戚縁者から寄付を募って建立したものです。この場所は木曽川支流の飛騨川を見下ろす位置で、父の記録によれば鎌倉時代にここに野原城が築かれ、室町時代の応仁元年(1467年)に我々安江一族の祖先に当たる安江光菴基政という武将がここに砦を築いたと言われています。野原城は基政の孫の時代に落城したがその子孫は地元白川を始め各地に生き延びたとのことです。

「美濃白川・道の駅「ピアチェーレ」の全景」:(2004.5.2)

白川町の国道41号線沿いにある道の駅です。ここでは特産の白川茶のほか野菜などを販売しており、ハムの製造体験販売なども出来るそうです。私の十代のこのあたりは田畑が広がって農民が鍬を振り上げていたのに、現在はしゃれた建物と数多くの駐車へと大変貌を遂げてしまっています。また最近の新聞報道によると、この道の駅を活用して「道の駅ラジオ」実証試験が10月頃開始されるそうです。これは地元市町村が運営主体となり、近くを走る車に道路状況・気象・観光などの情報を提供するものだそうですが、かっての農村が大変な変化を遂げようとしています。
「板取川・岩と水のハーモニー」:(2004.5.5)

この絵は、岐阜福井両県の県境に端を発して流れる板取川の板取・洞戸両村の境界付近で描いたものです。この川にはあちこちに支流があり、このように渓谷の岩をぬって流れ込んでくる光景に出会うことが出来ます。それは自然が作り上げた岩と水が織り成すハーモニーですが、遠くから見ると周囲の緑に包まれた静止画のようにも感じられます。
「ヒトツバタゴ・新緑に花を添える」:(2004.5.12)

ヒトツバタゴは岐阜・愛知両県でよく見られる植物です。花は純白で長さ数pの短冊状のものが固まって咲きます。遠くから見ると枝に付着した雪の塊という感じでありふれた姿ですが、接近して見るとその特徴がよくわかります。別名「ナンジャモンジャ」は、他に似たような例がなく説明の仕様がないということに由来しているようです。
「苔むして回る水車」:(2004.5.12)

 岐阜県武儀町の道の駅「平成」に設置されている水車を描きました。相当年季が入っているうえ絶えず回っているため水車のハブにはコケがぎっしり付着しています。水車の外周に付着していないのは遠心力がコケの生育を妨げているせいでしょうか。またゴールデンウイークでこの道の駅には多くの観光客が集まっていましたが、水車に注目する人はほとんどいないようです。
「白川公園連絡橋の奇観」:(2004.5.14

名古屋市内の中心部に位置する白川公園は南北に分断され、その間がコンクリート製の橋でつながっています。この絵は離れた部分から北側を見たものですが、橋自体がアーチ型になっているのに加え欄干もこのように湾曲しているので、公園の雰囲気に多少ともマッチさせて見た目に柔らかさを感じさせることを狙ったのではないかと思います。
「アジサイの花・鮮やかさアピール」:(2004.5.18)

近くのマンションに設置された花壇で見かけたアジサイが、開花を始めた直後で外側の花がこのように薄い朱色に色づき、中央部分の薄緑と調和しています。私が注目したのは朱色の花で普通はあまり見られないので描いておきました。ただこの絵は着色が不適切で少し紫がかってしまったようですが。実物も現在では完全に開花し全体が薄紫で覆われてしまっています。
「石町時の鐘・十思公園にて」:(2004.5.24)

東京都中央区小伝馬町にある十思公園は左程広くはありませんが、江戸三史蹟として由緒ある公園だそうです。すなわちここは @ 石町時の鐘(宝永時鐘) A 吉田松陰終焉の地(安政の大獄で刑死) B 伝馬町牢屋敷跡 であったとのことですが、現在は@だけが復元(といってもこの絵のように現代風)されています。この絵を描いたときは昼休みで、多くのサラリーマンやOLが日陰で昼食を取ったり談笑していました。
「カルミア・可憐な花たち」:(2004.5.26)

中央区浜町公園で見かけた珍しい花です。アメリカシャクナゲとも呼ばれ、直径2pほどのおお椀形の花が枝先に集まって咲いています。5角形の花はピンクと白があり、内側に茶色の小さな点が円状に並んでいます。また金平糖の形をしたつぼみ(この絵でははっきり表現できなかった)が印象的です。機会があれば少し失敬して挿し木で育てたい花木です。
「美濃市・うだつの町にて」:(2004.5.29)

美濃市の古い家屋には屋根の上に「うだつ」と呼ばれる小屋根?が設けられています。見たところ「うだつ」はそれ自体家屋としての特別な役目はありませんが、「うだつがあがらない」の語源にもなっているように、金持ちが見栄のために「うだつ」を設けたというのが通説のようです。この界わいは最近うだつの町並みとして地元の観光事業に一役かっており、時々熟年のグループがガイドの案内で見物しています。

「ムカデ・マイペースで通過」:(2004.5.30)

時折お参りする迫間不動の境内や参道でムカデが徘徊しているのを良く見かけます。昨年までは気が付かなかったことから、今年は気候か何かの影響で増えたのかも知れません。丁度目の前をのっそり?歩いているのでデジカメで撮影し、帰宅してから絵にしました。ムカデは百足とも書くように足の数が多いのが特徴ですが、念のため数えたところこのムカデは左右合計で40本ありました。
「ロニセラ・面白い花」:(2004.5.31)

隅田川沿いの道路に植えられているつる状植物のこの花に興味を持ち、描くと同時に小枝2.・3本を失敬して自宅で挿し木しました。まだ根付いたかどうか判りませんが、挿し木したものも花が咲き始めています。肝心の名前がわからないので、花屋さんにて図鑑で調べてもらった結果「ロニセラ」とか「ハニーサックル」ということが判りました。細長いゴム風船のミニチュアに似た花と、花の茎が葉を突き抜けるようになっているのが特徴です。