激しい変化に明け暮れた2004年を平静の中で閉じる (2005.1.1 掲載)

  2004年は災害など自然の異常現象が際立って多かったほか、社会においても特異な犯罪が多発するなど、過去に例を見ない不安な1年でした。それに比べれば私自身は平穏な1年でしたが、最近は自分の年齢を意識して生活するようになったことは事実です。
しかし幸いに葉書絵の制作意欲は衰えないので、今年の秋は紅葉を中心に描くよう努力しました。特に奈良の名所旧跡・秋の姫路城など静寂を感じ取れる場所を求めて移動し、鮮やかな紅葉に接する機会は少なかったものの、2004年を締めくくるにふさわしい作品ができたと喜んでいます

「フォックスフェイス」:(2004.11.14)

飛騨の山村をドライブ中に目に入った植物の果実を描きました。果実は全長5〜10cmで図鑑によれば、フォックスフェイスはこの果実に角のような突起がありキツネの顔のように見えることからつけられた和製英語のようです。
またナス科に属してツノナスやキツネナスとも言われているようで、ひとつひとつをよく見るとそれぞれ表情が違っていて滑稽さと愛らしさが感じられます。
「龍門寺鐘楼に紅葉を見る」:(2004.11.14)

岐阜県七宗町に建立されているこのお寺には以前夏に訪れて描いていますが、今回は紅葉を目的に出かけました。本殿に多くの人達が集まり読経が聞こえて来ましたので尋ねたところ、開山忌(お寺が建立された記念日のお祈り)と、併せて七五三参りと人形供養が行われているとのことでした。
境内には紅葉が少ないものの、このように鐘楼との調和にちょっとした趣を感じました。

「龍門寺・縁結びの木」:(2004.11.14)

お寺の山門付近にあるこの杉は、2本の大木があたかも枝でつながれているように見えることからこの名前がつけられ、町の天然記念木になっているそうです。
大木は恐らく樹齢百数十年と考えられ、古い枝が朽ちたり蔦が巻きついたりしていますが、よく見ると左から突き出している枝がこの木の由来になっていると思われ、男性のシンボルを連想させます。

「津保川・晩秋の風景」:(2004.11.18)

津保川は長良川の支流で上流はこのように川幅が狭く、ここでは変化に富んだ岩の連なりをぬって小さな滝や急流を作っています。ただ期待に反して紅葉は少なく、正面の黄色い葉はカエデかイチョウと思われます。このあたりは常緑樹が多いので、冬になっても余り変化は無いかもしれません。
「晩秋の東大寺山門山門」:(2004.11.20)

妻を伴って数年ぶりに奈良・明日香へのドライブを楽しみました。秋の行楽シーズンでもあるため、東大寺には相変わらず多くの参拝客が訪れています。この日は紅葉を楽しむことに専念して大仏殿内での参拝は失礼しました。山門付近はこのように紅葉樹が少ないですが、門前近くの鏡池の紅葉が規模は小さいながら見ごたえがあったので、1枚描いてあります。
「春日大社山門」:(2004.11.20)

春日大社は東大寺とともに奈良公園の代表的な寺社の1つですが、神社内で紅葉を見ることはできないものの、丁度山門が修復中のようでむしろこの山門の朱色は非常に鮮やかでした。
奈良公園では非常に多くの鹿が歩き回り、観光客の前に来て頭を上下に振って餌をねだっています。客の姿が見られない場所でも、餌の売店で客を待ち受ける要領の良い鹿が居ることに気がつきました。
「興福寺五重塔」:(2004.11.20)

興福寺は現在大修復工事中で、この五重塔と南円堂以外は全く姿がありませんでした。この塔は奈良時代に光明皇后が創建し、室町時代にここに見られる天平様式で再建されているそうです。
高さは約50mとかなりの高さがあり、周囲を松の大木で取り巻かれているため、塔の姿を忠実に描くとこのように松の枝に邪魔される感じになります。
「大和まほろば」:(2004.11.20)

国道169号線沿いの天理市最南部にあるうどん屋さんです。奈良から明日香に移動中にここで昼食をとりましたが、薄味の出汁(ダシ)が効いたうどんは日本的で大変おいしく、大和という店の名前にぴったりの印象を受けました。
この店の東側には崇神天皇陵や景行天皇陵のほかたくさんの墳墓が並んでいるので、時間があればゆっくり散策したいほどです。ただ紅葉はまだ初期という感じでした。

「明日香・岡寺山門の紅葉」:(2004.11.20)

岡寺は数多い明日香の名所旧跡でも東部の山手に建立されており、厄除け観音として特に女性の信仰を集めているそうです。この門は国の重要文化財で仁王門と言われ、伽藍はこの門から少し奥の山腹にあります。
岡寺付近から眺める明日香の風景は、7〜8世紀に数々の天皇や豪族が古代文化を築いたり権力争いをしたなどとは思えないほど、静かな田園集落が広がっています。
「明日香・石舞台古墳の晩秋」:(2004.11.20)

石舞台古墳は岡寺から徒歩約20分下に降りたところにあります。この古墳は蘇我馬子の墓と言われ、横穴式の石室で2,300トンにも達するという石材で築かれているそうですが、封土が無いため中の様子が良く見えるのが特長です。
ここへは過去に数回訪れていますが、何時来ても新たな印象を受け古代へのイマジネーションを呼び起こされます。この時期は周囲の落葉樹がすっかり裸になり、冬支度が進んでいるという風情です。
「鳥居と紅葉と菊」:(2004.11.23)

よく参拝する迫間不動さんの参道の鳥居に隣接して1本だけ植えられているもみじが紅葉し、鳥居のそばには大輪の菊が3鉢並べてありました。絵の組み合わせとしては面白いですが、実際遠くからは立派に育った菊が余りにも小さく見えます。しかし近寄って見ると花が非常に大きく、さらに驚いたのは各鉢とも1株が根元で3本に分れていることです。
後日ある知人から3本どころか5本以上もある株の話を聞き、大輪菊を育てるのは容易でないことを知りました
「晩秋・緑の中の日龍峰寺本堂」:(2004.11.23)

このお寺には5年半前の深緑の季節に参拝して描いておりますが、秋は初めてです。尤も周囲の森は大半が常緑樹のため、季節感は余り感じられません。前回のこのページでは、本堂が相当朽ちているので長期間保存できるように修復してほしいと書きましたが、丁度現在修復工事がなされていました。私の願いが届いたものと嬉しく思った次第です。
いずれにしても小さいながら京都の清水寺に匹敵するこの舞台は素晴らしいです。
「出番を待つ」:(2004.12.4)

熱田神宮を平成16年の初詣で訪れたとき撮影した写真から、2005年の年賀状用の絵に使うために描きました。17年は酉年であるため、申年から引き継ぐことを意味したものです。
この鶏は名古屋コーチンの雄ですが、羽毛の色が白・黄・茶・黒と多様で、鶏冠(とさか)も重量感が感じられるほか眼がきついのでしっかり存在感を表しています。
「初冬の姫路城」:(2004.12.6)

相生市への出張の途中立ち寄って描きました。本当は紅葉に囲まれた城を狙ったのですが、遅すぎて既にもみじは無く桜の葉だけが茶紫になって残っていました。2002年から毎年1回ずつここを訪れていますが、何時来ても格調の高さと優雅な形に目を奪われます。また何度か描いている間に城の構えや小屋根の位置などがかなり記憶に残るようになりました。
仕事の関係で訪れるのは今回が最後になるような予感がしていますが、あらためて葉書絵から離れてのんびり鑑賞したいものです。

「姫路場内庭園・紅葉僅かに残る」:(2004.12.6)

建造物を描くのに、落葉樹が生い茂っているときより枝だけになった時期のほうが適していると思うことがあります。この絵は枝だけになりすぎた光景ですが、落ちるのを惜しんで枝にすがりついた葉も、枝だけの殺風景になるのを防ぎ、遠方の城のモチーフを目立たせるには効果があるように思います。
城の周りはいずれこもほとんど落葉し、イチョウだけが黄色い葉を残していました。

「城郭に群生するうるしの紅葉」:(2004.12.6)

城郭といってもこれはお城の渡櫓だと思いますが、その石垣にうるしが張り付くように小さい株で群生し、深紅の葉が初冬の風を受けて動いていました。石と石の間に根を張って育ち、毎年このように季節の変化を映しているわけです。うるし以外にも潅木が生えていますが、紅葉したうるしほど目立ちません。
この絵は下から見上げて描いたのですが、立体的に表現することはできませんでした。
日比谷公園の遅い紅葉」:(2004.12.20)

久しぶりに日比谷公園に入り、初めて秋?の絵を描きました。紅葉が燃えるように鮮やかで12月下旬という季節感が狂ってしまいそうです。今年の異常気象は最後まで残り、都心ではヒートアイランド現象と相まって高温が続いたため、植物の変化も遅れてしまったわけです。
それにしても日比谷公園でこのような紅葉に親しむことができるとは予想外で、新しい印象を受けました。
「白い屋根の陶工房」:(2004.12.22)

岐阜県上之保村を車で通りかかって見かけた家を描きました。これは裏側から見たものですが、表に回って観察したところ庭に陶製の瓶などが並べてありました。どうやら陶器を造っている家のようです。
このあたりの民家は普通の瓦葺ばかりであり、この家だけが白く目立った屋根になっている理由に納得した次第です。また山里の初冬を感じさせる風景でもあります。