2005年初秋の風景を楽しむ (2005.11.1 掲載)

暑かった夏が過ぎてにわかに秋に入り、もう11月になってしまいました。私は葉書絵紹介を本年1月以降中断しました。ご関心ある方々には失礼をお詫びします。中断理由は1月下旬に家族の不幸に見舞われたためですが、最近は愛知万博で描いた数10枚の葉書絵を特集してご紹介をしておりますので、それもご覧いただければ幸いです。 今回は日ごろ目にしていた景色などで、初めて描く機会を得たものをあげました。紅葉には早いものの、対象や周囲の風景との調和で面白いものもあります。 また今年2月にトヨタのハイブリッド車プリウスを購入し、退屈しのぎで時々ドライブを楽しんでいます。燃費が約21km/lと一般の乗用車の2倍近くで、ガソリン代が高騰している現在でも自家用車利用の抵抗感を感じないので、葉書絵作成の大きな助っ人になっています。
「野間大坊本殿」:(2005.10.15)

数年ぶりで知多半島を一周しました。知多方面は今年2月の中部国際空港開港に合わせて道路や周辺地域の整備が進み、しばらく見ない間に大きな変化が見られます。当日は曇天でしたが、私は一般道ばかり約190kmを走り周囲の景色を楽しむことができました。
野間大望は源頼朝や義経の父親である義朝が祀ってあります。今
NHKで源義経が放映されているのでその影響に関心をもっていましたが、この日は参詣者がまばらで拍子抜けしました。
「野間崎灯台にて」:(2005.10.15)

野間大坊の近くにある、知多半島では数少ない灯台のひとつです。このあたりは海水浴シーズンには老若男女でにぎわいますが、現在はまったくひっそりし若いカップルを一組だけ見かけました。灯台も遠浅の海面を見下ろしてぽつんと立っているのは寂しい感じがします。
また中部国際空港からはあまり遠くないので航空機の発着を見かけることがあるはずですが、このときはこれにも気が付きませんでした。

「にらみ合う2つの岩」:(2005.10.15)

灯台に隣接して一組だけ存在しています。横から見るとあたかも二人の人間がにらみ合っている感じがし、こっけいでもあります。この時刻では潮がかなり引いているのに、ほかに岩肌が見えないのでよく目立ちます。岩のよこしま模様が特徴的なので、機会を見てその原因を調べてみたいと考えています。
二つの岩の中間には、遠方を中むつまじく散歩中の若いカップルが見えました。

「木津用水からライン大橋を望む」:(2005.10.20)

木津用水は木曽川の水を尾張地区の上水として供給するもので、ライン大橋は取水ダムにかかっています。この絵は愛知県犬山市側で描いていますが、木曽川の対岸は岐阜県各務原市です。中央の建物は多分マンションと思われます。
あと1ヶ月もすれば背景の山々が紅葉し、全体の趣が華やかに見えることでしょう。

「木曽川堤防のムク」:(2005.10.20)

木曽川の犬山側堤防にはこのようにムクやケヤキの巨樹が数多く並んでいます。非常に雄々しく立派で、樹に貼付された説明書によれば、樹齢約200年、高さ約24m、周囲約458cmとのことです。私はここ数年間この大木のそばを今は亡き妻を乗せてよくドライブし、いずれ葉書絵にしようと考えてきましたが、作品ができたのは皮肉にも妻が死別してからになってしまいました。
ここをとおるたびに妻との思い出が頭をよぎります。

「赤い橋と一株のコスモス」:(2005.10.21)

岐阜県上之保村で見かけた光景です。周辺をドライブしていて橋の存在には気が付いたものの、周囲の景色との調和という点ではあまり印象的ではありませんでした。しかし橋に近寄って見て、小さいながら目に入ったコスモスに新鮮味を感じました。
この絵ではあまり強調できなかったものの、モチーフの面白みを狙ったつもりです。

「ふどうの森の目じるし」:(2005.10.25)

妻とよくお参りした迫間不動への道すがら見える通信塔を描きました。以前にも描いてこのページで紹介していますが、今回はふどうの森の高い場所から見て描きました。この塔の反対側にも地味ではありますが通信塔があるので、こちらも描いてきました。
この界隈は濃尾平野の北部で周囲に高い山がなく、通信塔には絶好の場所です。

「不動の展望台より関工業団地方面を」:(2005.10.25)

ふどうの森の最も見晴らしのよい場所にある明王山展望台からは、北側はこのように関市方面、東側は美濃加茂市とはるか遠方にうっすら雪をかぶり始めた乗鞍岳と御岳、西側は一宮市、南側は名古屋市で名古屋駅のツインタワーもよく見えます。 この日は双眼鏡持参で出かけ、絵にできそうな展望台から近い目標を選びました。
工場群を取り巻く林や周囲の山々を見ていると、本当に気持ちが洗われる感じがします。
「濃尾平野を見下ろす2本の松」:(2005.10.25)

上と同じ場所から描いた絵です。目の前にある2本の松は佇んで関市方面を見下ろしている感じです。この展望台へは初めて上ってから3回目でしたが、必ず数組のご夫婦に出会いました。下の迫間不動の駐車場(自宅から車で約45分)からは斜面ながら舗装した道路が続き、徒歩約30分で到達できます。
私も一人の生活になってから散歩に時間を費やすことが多くなりましたが、ここへの登山は精神的にも癒し効果が大きく、心身の健康維持に役立てることができそうです。
「最後まで残されたアケビ」:(2005.10.25)

ふどうの森の道路で発見しました。地面に多数の皮が落ちていたので、見上げたところ1個だけ目に入りました。よっぽど採って食べようかと手を伸ばしましたが、幸か不幸か届かず代わりに写真を撮ったというわけです。
私が小学生の頃通学が山道であったので下校時にはよく友達と採って食べた記憶があります。尤もほとんど種ばかりでかじったあとすぐに黒い種吐き出すという感じでした。
「新宿御苑インフォメーションセンター」:(2005.10.26)

新宿御苑の新宿門前に設置されているこのインフォメーションセンターは博物館風の建物で、屋根の緑色・上部壁の白・下部の茶色がうまく調和しています。洋風であるため日本の公園の案内所としては少し趣が違う感じですが、内部には御苑の解説書など豊富な資料が置かれて、来園者には親しまれる場所になっています。
「新宿御苑・すずかけの巨木」:(2005.10.26)

この巨木は新宿御苑の西南部に植えられ、貫禄を見せています。この樹のプロフィルについては表示を見落としてしまいましたが、おそらく樹齢は300年を越えていると思われます。樹木は表皮の補強と害虫侵入防止と思われるマットで覆い尽くされ、あたかも相撲取りの回しのように見えました。そのうえ不規則に伸びた多くの大小の枝は伊勢海老の手足を連想させます。
「新宿御苑にて」:(2005.10.26)

新宿門から日本庭園に至る途中の景色です。中央の木々は少しずつ紅葉が始まっているようですが、全体としてはまだ深緑が支配的という感じです。この日は少し雨模様で全体に薄暗いうえ、来園者もまばらのためむしろ寂しささえ漂っていました。
ただ若い画家やグループがあちこちで、キャンパスに向かって筆を動かしている姿が印象的でした。
「旧御涼亭」:(2005.10.26)

新宿御苑の南部の千駄ヶ谷門よりに建立されています。これは昭和天皇のご成婚を祝って昭和3年に建てられたものだそうですが、中国南部や台湾などの建物風でなぜこのようなデザインにしたのか興味のあるところです。
十年ほど前には台湾閣といわれていて、現在でもあちこちに台湾閣のまま表示した案内板が見受けられました。

「新宿御苑日本庭園よりNTTドコモ千代田ビルを」:(2005.10.26)

日本庭園の赤い橋を渡る外国人カップルを描いたつもりですが、西南部遠方にはこのように尖塔のあるのっぽビルが目に入りました。このビルはMTTドコモ代々木ビルと言い、2000年に建てられた高さ240mのビルです。建物はニューヨークのエンパイアステートビルに似ており、日本では珍しい形状です。
また日本庭園のたたずまいがこのビルの存在によって相当変わったのではないかと感じています。

「ふどうの森・のべぶり岩」:(2005.10.28)

青空の下でふどうの森を歩き回る爽快さが忘れられず、3日ぶりで再び上りました。この大岩はかって(江戸時代?)名古屋の米相場を県内外に伝えるため、尾張の小牧山から旗信号により美濃・飛騨に知らせた所とのことです。
往時は人手によって情報の伝達を行った場所には、現在はハイテクの通信手段であるパラポラを付けた鉄塔が立って、同じ役割を果たしているわけです。