半年余振りの葉書絵紹介 (2006.5.20 掲載)

昨年11月にこのページを更新した後、諸般の理由により葉書絵の制作ペースを落としたためページ更新する余裕がありませんでしたが、今回約半年振りに作品紹介することが出来ました。 また4月からは水彩画の会に入会し2回のペースで水彩画教室に通っているので、最近は水彩画と葉書絵の両方に取り組んでいます。そのためか再び葉書絵制作の意欲が湧いて来ましたし、水彩画の基本を葉書絵にも応用できるので今までのマンネリから脱皮できることが期待できそうです。そこで今回は3月以降約2ヶ月間に描いた作品の一部を紹介します。
「豊洲駅のある風景」:(2006.3.7)

私は200512月から20063月までの4ヶ月間、東京の石川島播磨重工業梶iIHI)で燃料電池の商用化に関する検討作業に加わりました。この会社は地下鉄有楽町線の豊洲駅近くにあり、私は毎週2回愛知県の自宅から日帰り通勤をしました。この絵は豊洲駅の上部に設置された公共通路の一画です。
豊洲地区はかって
IHI発祥の地で工場群が立ち並んでいましたが、現在では再開発により住宅と商業地域に様変わりしています。
「IHI本社新社屋」:(2006.3.17)

IHIの本社ビルが20062月に完成し、私も3月に4日だけこの新社屋で働きました。このビルは25階建てでこの絵のようにシンプルな構造です。私の職場は19階でしたので、周囲はマンションやIT企業の高層ビル、遠方には東京湾が開けてレインボウブリッジもよく見えます。
こんな好環境で働ける
IHIの社員を羨ましく思いながら3月末このビルを後にしました。


「彼岸過ぎつばき満開」:(2006.3.22)

自宅庭の椿が今年はたくさんの大きな花をつけました。ここ23年はほとんど花がつかなかったので、昨年秋に油粕を与えたのが効を奏したようです。花びらが幾重にも重なって重厚な感じを醸していますが、咲き終わった後にぼとっと落ちるのは寂しく感じさせます。

「妻の形見・アジサイ芽吹く」:(2006.3.22)

妻がこの世を去って1年4ヶ月が経ました。妻は6月生まれでアジサイを大変好み、花の咲かせ方などについてもよく調べていました。現在は私が妻のやり方を思い出しながら選定などしっかり手入れしております。
このアジサイは額アジサイですが
3月下旬ではこんな感じでした。6月の現在では小さなつぼみが着いています。

「不動の展望台にて」:(2006.4.16)

この展望台は、岐阜県関市南部に位置する迫間不動を取り巻く不動の森の一角にあって、濃尾平野を一望できる場所です。ちょうど桜とつつじが同時に開花し、花のピンクと薄紫が周囲の新緑と色のハーモニーを醸していました。
このあたりはアルプスラインと銘打って舗装された道路や健脚向きの山道などが整備されているので、私は現在は毎週日曜日に迫間不動にお参りした後約
1時間の散歩をかねて来ています。
「山里の桜満開」:(2006.4.16)

岐阜県武儀町にある平成道の駅近くの津保川で描きました。妻の生前中はこのあたりへよくドライブしたものですが、絵を描くことはほとんどありませんでした。この時期はまだ桜が満開でこの日は天候も良かったので、ドライブの途中で買った菓子パンをほおばりながら描きました。
普段は目立たない中央の赤い橋も青空の下桜と新緑に花?を添えています。

「新緑・昼下りの蘇南公園」:(2006.4.20)

水彩画の会に入会し、本格的に水彩画を始めて初めての野外写生に来ました。この公園は原っぱ以外にほとんど何も無いので水彩画には別のモチーフを選びました。この遊具は複雑な仕組みですが葉書絵のモチーフにぴったりです。
ウイークデーの昼間でしたがここは閑散としていたので短時間の制作に集中できました。

「食べ頃」:(2006.4.21

水彩画の会のモチーフにするため買ったイチゴをまず葉書絵に使いました。過去相当多くの果物を描いて来ましたがイチゴは初めてです。タネをどの程度描くか迷い、結局黒い点を並べるのにとどめました。イチゴをモチーフにした水彩画は517日に先生の指導で描きました。
もし水彩画が先であればこの葉書絵の表現が変わっていたかも知れません。

「岩倉駅西のハナミズキ」:(2006.4.26)

岩倉駅西の商店街前にハナミズキの木が3本あり、うち手前の1本がピンクです。いずれも満開間近ですが行き交う人々はこれらの花にあまり気をとめていない様子です。そして前方には駅から出てくる人を待っているらしい一人の女性。描いている間に赤色の名鉄電車がホームに入ってきました。
ハナミズキをモチーフの主役にした
1枚の絵からさまざまなドラマが想像できませんか。

「松重閘門」:(2006.4.29)

名古屋市中川区の堀川と中川運河の水位を調節するために1930年(昭和5年)に建設されたそうです。門の巾は約9mで約90mに位置してもう1組の門があります。塔の高さは約20mで張り詰められた赤レンガの壁面はエキゾチックな面影さえ感じられます。この門は1968年(昭和43年)に役目を終わり、運河は埋め立てられて一方が小さな公園になっています。新幹線からも良く見えるので、以前から描きたいと考えていてやっと実現しました。

「日本ライン・ロマンチック街道にて」:(2006.4.30)

岐阜県坂祝町での光景です。木曽川の日本ラインに平行してロマンチック街道と銘打った散歩道がありますが、ところどころに街道をくぐる排水門が設置されているので、その上がこのように展望台になっています。
展望台はさほど高くは無いものの、青空の下で新緑を写した木曽川の流れや両岸の岩を見るのは気分が落ちついて快いものです。ゴールデンウイークの初めでしたが、人ではまばらでした。

「日本ライン・ライオン岩」:(2006.4.30)

上の絵の後に描きました。手前の岩がライオン岩ですが、こちらは背中を見ていることになるのでライオンの姿を想像することはできません。描いている途中ラインくだりの遊覧船が1艘、菅笠をかぶった観光客を乗せて下って行きました。
この岩がライオン岩であることを知ったのは、スピーカーから聞こえる観光船のガイドの説明からです。

「旬」:(2006.5.1)

水彩画のモチーフにするために買った竹の子を早速描いてみました。竹の子は彩水会の仲間の多くが描いていますが、私は初めての制作です。買うときに根の部分が多く残ったものを選ばなかったため、ややアクセントの少ない作品になってしましました。
タイトルの「旬」は竹の子の「筍」を掛けてつけた次第です。

「抗い」:(2006.5.2)

ボランテイア活動でよく出向く活動センター近くの民家に、フェンスを咥え込んだ木を見かけて早速描きました。まだ葉が小さいので木の名前までは確認できませんが、このようにフェンスが幹の中に隠れてしまうほどの木の力に脱帽し、タイトルを「抗い」としました。
尤もこの絵を描いていたとき民家の奥さんが私に近寄り、花壇に入って花を折るなとなじるように言われたので、私もむっとして口答えしました。この意味も含んでいます。

「新緑の日本ラインとロマンチック街道」:(2006.5.4)

坂祝町の一角の山に置かれた猿啄城の展望台からは、このように日本ラインに平行して敷かれている黄色いロマンチック街道が良く見えます。展望台の標高はわかりませんが国道21号線付近の駐車場からは約1000mの山道を登ります。この日は五月晴れで遠くの山々まで眺望が開けていました。
急な坂道を約30分かけて上り気持ちよく絵を描けたので満足です

「猿啄城跡」:(2006.5.4)

上の絵を描いた展望台です。展望台登り口に建てられた史記によれば、ここには応永年間(1400年初頭)に城が建造され、その後城主が何代か変リましたが1565年織田信長の軍勢により落城、信長は地名を変えて勝山城と改称し1575年廃城になったとのことです。
この日はゴールデンウイークの終盤でしたが、多くの老若男女でにぎわっていました。機会を見てもう一度来たいと思っています。