夏に侵食された秋に都心で描く(2007.11.10 掲載)

秋に入っても高温が続き、巷では「まだ暑いですねえ。何時になったら秋が来るやら」の挨拶が繰り返されました。私は7月以来2ヶ月目の9月と10月に仕事で上京しましたが、今秋は例年になく自宅がある愛知県より関東地方のほうが暑く感じられました。
今回のページではその2回の上京を利用して、一部デジカメ写真の模写を含めて描いたものを紹介します。水彩画では、地元岩倉市の美術展に初めて出品した水彩画が「佳作」をいただいたので、これも紹介しました。

鮎釣名人のH氏」:(2007.9.9)

ボランティアのグループで親しいH氏は川釣りが得意で、毎年夏には私の故郷である岐阜県白川町などで鮎釣りに興じられるとのことです。この絵はH氏から依頼されて写真から描いた2枚の中の1枚です。1匹は胸の前に垂れ下がり、もう1匹がタモの中に居る。それを自慢するしぐさ、さぞかし満足されたことでしょう。H氏の気に入った1枚を渡してお礼に収穫の鮎を頂戴しました。Hさんこれからも楽しんでください。
渋谷駅北部を」:(2007.9.21)

私が出向く会社の事務所が渋谷道玄坂の近くにあるため、この界隈では多くの絵を描く機会があります。しかし数年前まで別の仕事で東京に常駐していたこともあり、渋谷での作品を相当持っていてこのページでも数多く紹介しているほどで、周辺では種が尽きた感じは免れません。そこで今回はNHKテレビで必ず紹介される場所からカメラ側を見て描いて見ました。

残暑の大手門」:(2007.9.21)

皇居東御苑を取り巻くいくつかの門のうち、大手町から近くのお堀(大手濠)に沿って歩きながら目に入る一つです。松林をバックに威厳のある姿が印象的です。観光案内によれば「皇居東御苑の東側にある。旧江戸城の正門として、1620年(元和6)に築造されたが、明暦の大火で類焼。1659年(万治元)に再建された。しかしその後、地震などで修理を繰り返し、1967年(昭和42)に復元工事が完成した。」とのことです。

午後の桔梗門」:(2007.9.21)

大手門より少し南によったところにあります。右手が辰巳櫓(やぐら)なのでこの絵の題名を「辰巳櫓」にした方がよかったかも。案内によれば「三の丸に入る南門で、江戸時代は内桜田門(うちさくらだもん)が正式名称で、桔梗門(ききょうもん)は通称でした。桔梗門の名称は、太田道灌(おおた・どうかん)の桔梗紋の屋根瓦がこの門に残っていたから、など諸説あるようです。」とのこと。この案内には「ここ桔梗門の警備はなぜか異常ですね。」ともあります。
皇居外苑・残暑の中のまどろみ」:(2007.9.21)

大手町方面から内堀通りを南に来て右手に二重橋を見る、それがこの界隈の散歩コースだと思いますが、この時は秋分の日直前というのに午後3時過ぎで残暑が厳しく人通りは少なかったです。その中で中国人と思しき10数人の観光客だけが元気に歩いていました。芝生の上のあちこちではこのように若い人たちを中心に寝そべったり、新聞などを読んだりしていました。 この暑さは何時まで残るでしょうか。

日比谷公園心字池」:(2007.9.21)

この時期の日比谷公園はあちこちの花壇でいろいろな花を見ることが出来るのに、ここ心字池は秋の気配さえ見せず殺風景でした。私は過去この場所で何枚か描いていますので、何とか変わったモチーフを探したのですが、出来上がったのはこの程度です。水面を多くとってそこに映る木々などを描いてもよかったかも。

日比谷公園・アサヒビールオクトーバフェスト」:(2007.9.21)

野外音楽堂(小さいほう)付近を通りがかり、白いジャケットを着たたくさんの若い人を見かけたので問いかけたところ、毎年開催しているイベントで今日は3日間の最終日だとのこと。ドイツかどこかの有名な?バンドが演奏し、聴衆はアサヒビールを飲みながらそれを楽しむそうな。飲みたい人は受付で本人の年齢がわかるものを提示し紙製のベルトを腕に巻いてもらう。開演までに後30分ほどだったが、私は別に知人と飲む予定があったのでとりあえず病院の診察券を見せ腕輪だけもらいました。ビールは1500円で売っていました。
夕日を浴びる東京駅:(2007.9.21)

東京駅を丸の内側から描くときは大体正面からアプローチすることが多いので、今回は南西側から狙いました。レンガ造りの建物の赤茶けた色が、夕日を浴びて一層濃く見える感じです。この建物は日本人が設計し、大正3年(1914年)に完成したそうですが、今でも周囲の近代的な高層建築に囲まれて格調高い風格を保っています。もっとも左右の角型のドーム屋根は(この絵の右側)当初丸型だったのが、戦災で破壊されて簡単に修復されたためだそうで、当初の丸型に修復する計画が現在進行中とのことです。
上智大学1号館と正門」:(2007.10.19)

四ッ谷駅で下車し、南方に数分歩くとこの建物が目に入ります。上智大学はキリスト教精神に則って創設され2013年に100周年を迎えるという由緒ある大学で、この四谷キャンパスはその中心的な施設だそうです。モチーフにしたこの建物も長期の歴史を物語っている感じでした。私は20数年前東京で勤務しこの付近を通りかかったことは何度かありますが、上智大学周辺に来たのは今回初めてです。

若葉東公園の噴水」:(2007.10.19)

この日私は迎賓館を描きたいと足を運びましたがここは来年
3月まで改修のため閉館中でした。結局近くで目に入ったこの噴水を描くのにとどまりました。曲線で構成されたオブジエの中央に、金色ながら控えめな感じの噴水が設置されています。同じものが前方にもありました。近くのベンチには若いカップルがぴったり寄り添い、語り合っているのが印象的でした。

赤坂護衛署」:(2007.10.19)

赤坂御用地西側道路に面して迎賓館と東宮御所の中間辺りに設置されている建物で、正確な名称?は皇宮警察本部赤坂護衛署らしいです。門構えは周辺の建物とは対照的な日本建築ですが、先に紹介した御所周辺の門に比べれば小さい規模です。ここにはちょうど男女2人の護衛官が退屈そうに立っていました。門の内側を見ることは出来ませんが、松などの常緑樹が生い茂っているようです。
「NTTドコモビルと新宿パークタワー」:(2007.10.19)

JR信濃町駅前から西方を見た光景です。NTTドコモビル(絵の右)が20009月完成、新宿パークタワービル(左の小さいもの)はそれより6年前の19944月完成だそうで、この絵では表せなかったがそれぞれの景観上の特徴が異なっているのが印象的です。西方の風景がこのように見渡せるのは、信濃町駅がかなり高台にあるらしいことが赤坂から信濃町へ向かう上り坂の道路事情からも納得できました。

渋谷駅前・臨時歴史資料館」:(2007.10.19)

渋谷駅周辺にはほぼ毎月1度訪れていますが、この古電車を見たのは初めてです。中には大正から昭和の終わりまでの渋谷駅周辺の地図や写真が展示され、この地で生まれ育ったというご老人が説明してくれました。都電が走っている風景などの資料は興味を引きますが、大戦直後の昭和20年代前半の写真がないのも当時の状況を物語っていると思いました。入館者が10人程度と、多くの老若男女がひしめいている場所にしては少ない感じです。
「水天宮の狛犬像」:(2007.10.19)

渋谷から銀座線と日比谷線を使って人形町に出、水天宮にお参りしたついでに写真を撮って後日描きました。水天宮は私のかっての勤務先に近かったことから、何枚か描いてネタが切れていたのでこのモチーフを選びましたが、小雨が降り始めるなど薄暗かったので狛犬の特徴を描くには至りませんでした。
「浜町公園のイチョウ並木」:(2007.10.19)

浜町公園に着いたのは午後5時過ぎであたりは薄暗くなっていました。ここも東日本橋の事務所にいた数年の間の散歩コースのひとつで、よく通いよく描いたものです。夕方の街路灯がまだ緑を残しているイチョウの葉を照らしています。この公園もしばらく来ない間に少しずつ変化してきているようです。

     水 彩 画 
2つのたまねぎ」 (4号)(2007.8)

水彩画教室での指定教材を使った作品です。たまねぎは今年のお盆に故郷へ里帰りしたときもらって来たもので、茶色と紫色という組み合わせはクラスでは私のみでした。「垂らしこみ」はまあまあでしたがもう少し立体感を出せば出来栄えも良かったと思います。

カボチャ」 (4号)(2007.9)

このカボチャも故郷でのもらい物。自由作品として描きましたが、ちょうど先生の同じ作品を見ることが出来たのでそれをまねた部分もあります。先生の評価は、光を反射した部分を自然に近く表現することが必要ということでした。

「チロリアンランプのざわめき」 (8号)(2007.10)

地元岩倉市で11月に開催された美術展に初めて出品した8号の作品です。昨年も出品を考えましたが、習い始めて間もなかった上指定されている6号以上を制作する自信がなかったのであきらめました。この作品の前に4号と8号を1枚ずつ描いて先生に見てもらいこのような構図になりましたが、先生のアドバイスのおかげで初出品ながら「佳作」を頂きました。この絵のタイトルはウエブで花屋さんの広告を見て付けましたが、日本名を「浮釣木(うきつりぼく)」、学名は「アプチロン・メガポタミクム」といいます。