「東京都内の隠れた名所を訪ねる」(1999.4.1掲載)

今年の1月は終末の多くを東京で過ごし、沢山の葉書絵を描きました。特に下旬はガイドブックを片手に都心の東北部と西南部をあちこち訪ね歩き、隠れた名所に接してきました。いずれの場所も木々の葉が少ないために、却って建物の全体が見通せるなど、冬の写生もそれなりの収穫があったと思います。都内名所の絵はかなり増え、そろそろ郊外に足を運びたいと考えていますが。

「立教大学本部」:(1999.1.19)

立教大学の校舎はキリスト教系大学として日本で2番目に古い建物だそうです。レンガ造りで落ち着いた雰囲気を漂わせており、校舎の壁面にはにはつたが縦横に絡みついているので、これが葉をつける時期には一層風格が出るものと思われます。今は期末試験のシーズンだと思いますが、学生達が思い思いの格好でキャンパスの中を行き来していました。
「慶応義塾大学図書館」:(1999.1.23)

この図書館は慶応義塾大学創立50周年を記念して1920年頃に建てられたものだそうで、現在は国の重要文化財に指定されているそうです。今は冬季で前面の樹木が葉を落としているので、赤レンガと花崗岩によるゴシック建築の威容が実感できます。
「三井倶楽部」:(1999.1.23)

この建物は1913年に三井家の迎賓館として建てられ、現在も関係企業の交流の場として使われているそうです。ネオバロック風の華麗な建物で、鹿鳴館やニコライ堂で有名なジョサイア・コンドルの設計になるものとのことです。この絵は建物の裏庭で描きましたが、たまたま庭師が作業中で裏門が開いていたので、立ち入り禁止札を横目で見ながらこっそり入れてもらいました。
「泉岳寺」:(1999.1.23)

播州赤穂の城主浅野家の菩提寺です。忠臣蔵でおなじみの赤穂四十七士の墓地としてあまりにも有名です。境内には大石内蔵助の銅像、吉良上野介の首を洗った首洗い井戸、浅野内匠頭切腹の際に血が付着した血染の梅など、浪士ゆかりの史跡が残っています。今年のNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の前評判からか、思ったより多くの参拝客を見かけました。
「明治学院記念館」:(1999.1.23)

1890年に神学部校舎兼図書館として建てられたネオゴシック様式の建物で、校舎と礼拝堂の設計はそれぞれアメリカ人の教授と宣教師の手になるものだそうです。最初はレンガ造りでしたが、1894年の地震により破壊した2階部分を木造で修理してあるとのことです。この校舎で島崎藤村も学問を修めたそうですが、記念館の後方に近代的な高層の校舎があり、この記念館と非常に対照的です。
「品川駅のたそがれ」:(1999.1.23)

ここは夕暮れの京浜急行品川駅を第1京浜国道の駅北側から見たものです。品川駅周辺は最近整備されて東側には高層のニュウタウンが完成しましたが、この駅舎は以前からあったもので西洋の建物をイメージさせています。冬の西日が空を茜色に染めて、帰り道を急ぐ人々が駅の周りを行き交っています。
「徳川慶喜墓」:(1999.1.24)

徳川時代最後の将軍、慶喜公の墓は上野公園北東の谷中霊園の一角にあります。墓の中央はこの絵のように石塁が作られ、御陵のミニチュアーを思わせます。この絵を描いたときは、午前の早い時期で曇っていたこともあって参拝のひとは見当たりませんでした。
「寛永寺根本中堂」:(1999.1.24)

寛永寺は1625年に建立された天台宗の関東総本山で、徳川歴代将軍の菩提寺だそうです。このお堂は埼玉県川越市から1638年に移築したものとのことですが、周囲は松の樹に覆われ、殺風景な感じが却って本堂の重々しさを醸し出しています。
「入谷鬼子母神」:(1999.1.24)

「朝顔市」で有名なこのお宮は山手線鴬谷駅の近くにあります。「朝顔市」は7月上旬に開かれ、朝顔を目当ての観光客などでごった返しますが現在は訪れる人も無く、この絵を描いたときは雨が降っていたため寒々としたたたずまいをみせていました。
「鷲(おおとり)神社」:(1999.1.24)

毎年11月、酉(とり)の日に飾り熊手が境内を埋め尽くす、酉の市で有名な「お酉さま」です。社殿や神楽殿は鉄筋コンクリート造りですが、塗装の朱色とあいまって風格を漂わせています。この絵を描いた日は縁日らしく、地元の人たち催す福引きや餅つきで賑わっていました。丁度昼飯時でしたので私もお裾分けのお餅を10個ばかり頂戴しました。
「国会議事堂(大蔵省上交差点より)」:(1999.1.29)

国会議事堂は今までにも描きましたが、このアングルでは初めてです。描いた場所は大蔵省上交差点と言いますが、この辺りは議事堂前とか永田町などのいくつかの地下鉄の駅があるためか私が描いている間に2・3人の人から駅の場所を問われました。急に聞かれて不正確に教えたので、聞いた方の人も迷ったことでしょう。
「アメリカ大使館を望む」:(1999.1.29)

アメリカ大使館は霞ヶ関の官庁街から幾らも離れていない所に位置しています。この絵は国会議事堂から西の方に下がった所から描いたものです。こうしてみるとさすがに威容を誇っています。手前の黄色いものは、道路の中央分離帯に植えてある棕櫚か何かで、霜を防ぐためにわらがかぶせられ定増す。
「霞ヶ関ビルからの眺望」:(1999.1.29)

霞ヶ関ビルの33階レストランから西方向を見た風景です。都心のビル群の中に夕日を浴びて東京タワーがそびえたっています。、霞ヶ関ビルは我が国最初の高層ビルで、完成直後の展望台はかなり人気があったはずです。