「新緑から深緑へ」(1999.7.1掲載)

まだ梅雨は明けませんが、もう夏がそこまで来ているような毎日が続いています。私の葉書絵は、先月のページ更新では彩水会展特集にしたためかなりの作品をお届けしていません。そこで時期遅れながら新緑と深緑をかけて私が楽しんだもろもろをご紹介することとしました。これをご覧頂いて、安江という男はよほどひまな人間と感じて頂けれそれでも結構です。小さい用紙ながらあちこちで得た感動を一つ一つを記録して、私なりの財産にしようというわけです。今回は久しぶりに訪れた横浜の風景を特集しておりますので、ごゆっくりご覧下さい。

「桜まつりオープニング」:(1999.4.3)

私の住む岩倉市は、以前にもご紹介した通り「五条川の桜」が10年近く前に「全国桜百選」に選ばれ、現在では桜の名所として東海地方の各地から非常に多くの花見客が訪れます。「桜まつり」のオープニング・セレモニーも市長さんの挨拶など盛大?に開催されます。私はこのセレモニーに初めて参加しましたが、その目的は参加者に先着順に配布する「ネムの苗」を妻に頼まれてもらうためでした。「ネムの木効果?」で参加者はかなり多く、セレモニーを待っている間に周囲にいる人達などを題材にした葉書絵を3枚描くことが出来ました。
「カタクリの花」:(1999.4.3)

妻が数日前に岐阜県可児市にある「カタクリの花」の群生地を友人と見てきて、可愛くて絵になるからと勧めてくれましたので妻の案内で足を運びました。描いているとき名古屋市内から来られた青木さんというアップリケをやっているご婦人に話しかけられ、お互いの作品を後日交換しました。この絵は私から送ったものですが、「カタクリ」は群生といってもバラバラに生えているため、葉書絵ではあまり多くを描けないので目立たないのが難点です。私が頂いたものはさすがアップリケであるため、印象的な作品でした。
「江陵閣より木曽川を望む」:(1999.4.3)

「カタクリの花」の群生地近くにある「江陵閣」という割烹旅館の庭先から見た木曽川です。木曽川は過去10枚近く描いていますがこの場所では初めて描き、木曽川下流では良い景色の一つです。またこのあたりは全国的に有名な日本ライン下りの一部で川下りの遊覧船も見ることが出来ます。この絵は夕方でまもなく夕焼けが見える頃でした。
「駄菓子を行商する女性」:(1999.4.12)

東京のJR山手線大塚駅北口で商いをしている女性(左側)と客の女性を描いたものです。この行商の女性は、うわさによると千葉県から毎朝7時頃に来ているとのこと。私が描いている30分ばかりの間で1個も売れた様子はなかったものの、嫁とのごたごたから逃れてこうした冷やかしの客?との雑談に楽しみを見出しているのかも知れません。
「グロリオーサ・不思議な花」:(1999.4.18)

この花は、私の還暦と中部電力での退職を祝って、間もなく二男のお嫁さんになるお嬢さんが贈ってくれた花束の中にあったもので、名前を知らなかったので「不思議な花」としました。しかし後日、偶然あるスーパーの花屋さんで買った本に名前がのっていたので本当の名前「グロリオーサ」が分かりました。これはユリの系統で花自体の形と色が日にちの経過にしたがって変化するほか、雄しべの形によって2種類に別れ、雄しべの1つが先端に花粉のついた小片を付けているのに、他方はその小片が無いという変わった花です。題材にフィットした面白い絵になりました。
「岐阜明宝村・湯星館」:(1999.4.24)

岐阜県の名宝村は最近観光を中心とする村越しで有名になったところで、以前私のホームページでもご紹介しております。この温泉も数年前に営業を始めたものですが、それ以前には試掘中のため無料(現在は500円)で入湯できました。建物の周囲は森林と川で温泉からの眺めは格別です。この日は比較的空いていましたが、客が多いときは駐車までに1時間以上も待たされるほど人気があるようです。
「みどりの日(みやこわすれ)」:(1999.4.29)

「みどりの日」の朝庭に出て目についたのがこの花です。この植物は「ミヤマヨメナ」という野草を園芸用に変えたものとのこと。花の大きさは3cm程度でひっそりと咲くのが特徴です。私の自宅の花はすべて妻が管理しており、私は時々散水の手伝いをする程度ですが、今年は肥料をふんだんにまいたので、どの花木も元気がよく雑草もよく伸びます。
「岩村城太鼓櫓」:(1999.5.3)

岩村町は岐阜県東部の中津川市と恵那市に接した小さな町です。この城は800年ほど前に築かれ、約400年間にわたって美濃戸遠山氏の居城になっていたそうで、途中女城主の時期もあったことでこの地方では有名です。この太鼓櫓は1601年(慶長6年)に建てられたもので、丘の中腹にあるためなかなか風格が感じられますが、岩村城郭は相当大きく本丸へはここからかなり上った所にあったようです。岩村町はこの城址を目玉にして古い町並みなどを含めた観光開発に取り組んでいます。
「高澤観音・日龍峰寺本堂」:(1999.5.5)

岐阜県武儀町にあるこのお寺はもともと仁徳天皇の時代に建立され、その後本堂は応仁文明の乱で焼失したので寛文10年(江戸時代)に再建されたもので、由緒ある建物です。入母屋造りで山頂の傾斜地に貼り付けるように建てられ、前方の舞台形式が京都の清水寺によく似ていて、「美濃の清水」とも言われているそうです。古い建物であちこち朽ちておりますが、このような建物はしっかり保存してほしいものです。参拝客もまばらですがもっと多くの人に拝観してほしい仏閣です。
「日龍峰寺・多宝塔」:(1999.5.5)

この多宝塔は鎌倉時代、時の尼将軍・北条政子によって建立されたものだそうで、日龍峰寺本堂から少し隔たったところにあります。すでに800年以上を経た全国屈指の建造物で、昭和25年に国の重要文化財に指定されています。修復して間が無いらしく塗装の色も比較的鮮やかです。絵を描きながら美濃加茂市のアマチュアカメラマンと話す機会があり、この人は地元や新聞社の写真コンテストで何度も入賞経験があるそうで、写真家の被写体の捕らえ方など絵の制作に参考になる話を伺うことができました。
「大仏次郎記念館」:(1999.5.8)

久しぶりに横浜の海岸を散策し、10枚の葉書絵 を制作しました。これは当日最初の作品ですが、前日の二日酔いが覚めておらず蛋白な絵になってしまいました。横浜港を眼下に見下ろす「港の見える丘公園」の一角に建てられている、レンガ造りのシックなこの建物はこの公園の中心的存在です。今回は入館しなかったですが、この中には大仏次郎の創作活動に関連したいろいろな物が展示されています。
「ポピーと霧笛橋」:(1999.5.8)

「海の見える丘公園」のあるアングルです。霧笛橋をバックに色とりどり(といっても赤・黄・白の3色が主)の花が咲き乱れていました。描いているとき通りがかった人が「あれは「ポピー」なのか「けし」なのか」と話していたのを帰宅して思い出し、同じ物であることを初めて知りました。
「横浜・外人墓地より」:(1999.5.8)

ここの外人墓地は、季節により毎週土・日に一般開放されます(但し入園料は寄付という名目で200円程度)。私は初めてここに入ることが出来、一部分ながらじっくり観察しました。日本に骨を埋めた人たちは日本で生活したり活動した人が多いのですが、中には日本をこよなく愛したり気に入ってしまった人や、軍人上がりで落語家として余生を送った人も居るるなど、外国人の日本に対する純粋な気持ちの一端を垣間見たように思いました。この絵は墓地の入り口から横浜港の「みなとみらい21」方面を見たものです。
「アンネの形見のバラ」:(1999.5.8)

外人墓地の入り口近くに植えてあります。「アンネの日記」で有名なオランダ人少女アンネ・フランクが生前に大切にしていたバラを、アンネの死後の世界大戦後父親が世界各地に贈ったものの一つで、日本ではここと広島県福山市だけにあるそうです。花びらの色はだいだい系で中心部から外側に向かって次第に濃くなっています。説明者によると、移植後長い間咲かなかったものが何かのきっかけで突然咲き出したものとのことです。
「横浜港にて」:(1999.5.8)

横浜でのこの日最後の絵です。港に接近して二人の男性が油絵を描いていましたので、傍らで一人の絵と同じアングルにして描いたものです。大きなキャンパスの油絵の迫力にはとてもかないませんのでスピードで勝負しました。通りがかりの人はさすが油絵は立ち止まって見て行くのに、私の方は見向きもされませんでした。