五条川・岩倉桜まつり」(1998.4.20掲載)

五条川は岐阜県多治見市付近に端を発して途中愛知県犬山市東部の入鹿池を経た後、私の住んでいる岩倉市など愛知県尾張地区を縦断する全長28Kmの川で、新川・日光川と変わって伊勢湾に流れ込んでいます。この川には両岸に数多くの桜が植樹され、岩倉市内だけでも南北7Km強に約1600本の桜があって、「全国桜百選」の一つに数えられています。ここでは毎年4月上旬に盛大な桜まつりが開催され、名鉄岩倉駅から徒歩5分という便利さもあって東海地方の各地から多くの花見客が訪れます。
今回は、五条川の桜を中心として今年の「岩倉桜まつり」を題材にした葉書絵を10数枚描きましたので、その一部をご紹介します。なお昨年5月1日に初めてホームページを開設し、「桜」を特集しておりますので併せてご覧下さい。

「「裁断橋行」碑」:(1998.3.28)

この裁断橋は五条川の途中愛知県大口町に復元してかけられたものです。橋の由来は上の「桜」のページで紹介しましたので省略し、ここでは橋のたもとに昨年10月28日建立された「裁断橋行」碑について少し説明します。この碑は、現在中部電力社長である太田宏次氏が「裁断橋」にまつわる母子の物語に感銘を受けて橋を題材にした漢詩を詠まれ、それを自ら揮毫した碑を大口町に寄贈されたものです。この漢詩は、「息子を弔うために今生の別れの場となった裁断橋の架け替えを思い立った母の心や、400年が経過してその橋で遊んでいる母子の情景をうたい、わが子を思う母の気持ちはいつの時代でも変わらない」ことを表現した七言絶句五首の漢詩で、昭和55年の全国漢詩コンクールで第1位に輝いたものだそうです。

「娘達の談笑」:(1998.3.28)

上の碑の近くで花見をしている若い女性を描いたものです。こっそり描き終わってから彼女たちに見せたところ、驚きと照れ隠し?で大笑いされました。今年の桜は3月下旬の温かさで急に開花が進み、すでにこの頃には七分咲きくらいでした。

「ニューファミリーの花見」:(1998.3.29)

岩倉市内で見かけた光景です。この絵を描いたのは日曜日の午後でしたので、4月1日からの「岩倉桜まつり」前にもかかわらずかなりの人出でした。

花よりおでん:(1998.3.29)

地元の商工会が設営したらしい店で、「桜まつり」前ですがこのように繁盛していました。売り子役はボランテイアだと思いますが、味噌おでんなどが慣れた手つきで売られていました。

「一豊橋の桜」:(1998.3.29

山之内一豊はこの地方で生まれた武将で、織田信長から豊富秀吉に仕えた後関ヶ原の戦いで徳川方に属し、最後は土佐藩主になった人物です。この橋は一豊の生誕を記念して岩倉市内の五条川に2年ほど前に造られたもので、このように橋の中央に屋根付きベンチがあるのは五条川では珍しく、花見にはふさわしい風情があります。昨年暮れにもこの橋を描きましたが真冬でもあったので、このような景色は予想できませんでした。

「安らぎ」:(1998.3.29)

上に記した「桜」特集の中に「老樹花を抱く」という絵を入れていますが、この絵はそれと同じモチーフで描いたものです。先の絵が幹を主テーマにしたのに対し、この絵は花に思いを馳せたつもりで描きました。桜の花はバックの状態により目立ち難いこともありますが、暗い色の幹に密着した花を見るとこの題のように落ち着いた感じを受けます。

「五条川のんぼり洗い」:(1998.4.4)

岩倉市内には400年の伝統を誇り、皇室にも鯉のぼりを献上しているのぼり屋があります。五条川で行われる鯉のぼりの糊落しは「のんぼり洗い」と呼ばれ、春の訪れを告げる季節の風物詩として有名です。この日は「桜まつり」のイベントとして実演されたもので、ちょうど名古屋テレビが生放送中継をしていました。こののぼり屋は中島屋と言う屋号で現在親子二代でのぼりを作っています。

「岩倉桜まつりにて」:(1998.4.4)

上の風景に見物客を入れて描いたものです。このように数多くの人が見物している前で、包丁に似た道具でのぼりの表面をなぞるようにして糊を落としていきます。この日は天気が良く川の水温もかなり暖かく思われてのどかな作業風景でした。

「岩倉山車揃い曳き」:(1998.4.5)

岩倉市には3台の山車があり、大上市場、中本町、下本町の3町でそれぞれ「新溝神社」「神明太一社」「神明生田神社」の祭礼にあたって別々に引き出されていましたが、本来は3台とも神明太一社で行われる「岩倉祇園祭」の山車でした。明治時代までは、3台の山車が揃って祇園祭を彩ってきましたが、その後は次第に個別に引き出され、昭和30年代にはすべて陰をひそめたものの、平成3年の市制20周年を契機に3台とも復活して、平成4年からこのように3台の「山車の揃い曳き」が実現しました。なおこの絵で手前が下本町の山車で、岩倉の山車の中で最も歴史が古く寛永2年(1625)の製作と言われております。この山車にはからくり人形が5体あります。

「岩倉山車」:(1998.4.5)

この絵は上の絵の中央と奥の2台を描いております。この絵で手前が中本町の山車で、寛永3年(1626)の製作と言われております。この山車にはからくり人形が4体あり、「チリリ(回転)」では1体のからくりが綾棒(鉄棒のようなもの)にぶら下がって回転します。向こう側の山車は大市場の山車で、寛永6年(1629)の製作と言われています。この山車にもからくり人形が4体あります。からくり人形の実演は実際には1台ずつ順番に約10分間行われましたが、この絵では2台同時に動いているように描いています。

 

「五条川の夜桜」:(1998.4.5)

桜まつりを盛り上げるものとして「夜桜」があります。ライトアップされて五条川に映る桜は非常にきれいで一種のロマンさえ感じさせます。しかし絵を描くには、その場所が暗く色が不鮮明などのため描きにくいので、ここでは予めビデオ撮影しておいてそれから模写しました。但し夜桜のムードを出せるように輪郭にはペンではなく鉛筆を使いました。

「夜桜と岩倉橋」:(1998.4.5)

上と同じ描き方です。中央にある橋が逆光線のためか、鮮明な像として描くことが難しかったです。しかし夜桜の場合でも絵は写真と異なって、自分の受けた印象を特徴づけることが出来て面白いものになったと思いました。